下ネタとフラワーバッチレメディ

読者の方は、街で待ち合わせをしていて、待ち合わせ相手の美少女が「うんこー!!!!!!」と言いながら笑顔で駆け寄ってきたことはあるだろうか。


私はある。京都の街中で。




唐突に友人から「うんこ」のような小学生レベルの下ネタを言われたとき、人はどんな反応をするだろうか。

当時私は苦笑いするしかなかったのだが、一般的には不快感を示すか、他人のフリをするか、一緒に笑うかのどちらかであるように思う。大学一回生だった私は、その言葉を聞いて不快に思い、少し他人のフリをしようとした。笑うことはなかった。



よく小さい子供が「うんこ」「おしり」「ちんちん」などの言葉が出るだけで爆笑することがあると思う。私は恥ずかしく思うタイプの人間だったためその経験はないが、似たような経験は多くの人間があるのではないだろうか。そして多くの場合、成長するにつれそのような言葉は人前では言わなくなる。大変親しい間柄を除いて。Twitterでは毎日のように見る言葉だが。


思い返してみると、私の家はそういった下ネタに関しては厳しい家だったように思う。まあクレヨンしんちゃんが視聴禁止だったことは覚えているが、自分から進んでそのようなことは言わなかったため、別段それについて怒られたことはない。強く躾けられたことはないが、口に出してはいけない言葉だという認識はあった。

幼稚園や小学校で日常的に聞く言葉ではあるが、私はそれを「ちょっと男子〜」と諫める立場であった。




転機は、大学一回生の冬から組み始めたバンドである。そのバンドは私以外が全員男性で、結構ブラックジョークや下ネタが会話に出ることが多かった。その度苦笑いをしていたのだが、段々と一緒に笑えないことが寂しくなってきたのだった。一人だけ女性ということもあるし、私が複雑な表情をしていることに気を遣われるのも申し訳ない。

ここは素直に笑えた方がいいのではないだろうか、という気持ちが芽生えてきたのである。


そもそも、笑っていけないと思っているのはなぜだろうか。

誰かを傷つけているわけではない。むしろ口にするだけで皆が笑う。こんなに幸せなことがあるだろうか。日本人共通の魔法の言葉である。笑わない方がもったいないのではないか。



ちょうど同時期、大学の授業でフラワーバッチレメディという補完療法を知った。

このフラワーバッチレメディという療法は、内容を聞くだけだと大変怪しいものである。

簡単にまとめると、特別な方法で花や木からエキスやパワーを水に転写し、その水を自分の気分にあわせて飲む、というものである。

パワーを転写した水のことをレメディと言い、レメディは全部で38種類ある。フラワーバッチレメディでは、人のマイナスな感情は38種類に分けられるとされており、レメディはそれぞれ気分に対応しており、飲むタイミングでどのレメディを飲むべきか自分で考える。

詳しい内容は以下を参照してほしい。


http://www.bachflowerassoc.com/sub2sub2rem.htm


下ネタを笑えないことについて考えているとき、私は10番のクラブアップルと27番のロックウォーターの説明文に惹かれた。


クラブアップル:ささいなことが気になったり、自分がなんらかの形で汚れることを恐れる時に。

ロックウォーター:ものごとはこうあるべきと考え、それ以外の考えはうけいれにくい時に。完全であろうとして自分に楽しみを許さず、かたくなになっている時に。


これを読んだときに、「もしかすると私は、正しく良い人間であろうと振る舞う自分が汚されると感じているのではないか?」ということをふと思った。



昔から私は正義を振りかざすところがあり、正しいことを周囲に押しつけるところがあった。親に言われたことを守らない人間が嫌いだったのだと思う。親に言われたことが正義で、それを守れないのはおかしいと思っていた。典型的な良い子であろうとし、それを周囲にも求めていた。

「うんこ」で笑わないことは、自分が良い子でいるための一つの要素だったと考えられる。

成長して、周囲に自分の正義を押し付けることはしなくなったが、引き続き私は自らに良い子であることを求めた。親が怒らないように。


それが親元を離れると、友人や先輩と関わる中で良い子でいることのメリットを感じなくなっていった。むしろ良い子から抜け出せない自分に腹を立てていた。

自分が汚されると感じるのは良い子であろうとしていたからで、そんなものを守る必要は全くないことに気がついた。むしろ積極的に壊していくべきである。


「うんこ」で笑うべきではないと長らく勝手に思い込んでいたが、これからは気兼ねなく精一杯楽しもうではないか。


こうして、完全主義的な自分を打ち壊す一歩として、私は「うんこ」で笑うことにしたのだった。





でもやっぱり挨拶がわりにされるのは25歳の身からするとかなり恥ずかしいので、会ったときは普通にお久しぶりですと言わせていただきたい。

(後編)コミュニケーションのハードル:実践


前回の続きです。


後編では、相手の心を読みすぎる人間が真っ当なコミュニケーションをするスキルについて話していく。このスキルについては、勘違いをよくしてしまう人や、遠慮して聞くべきことを聞けない人にも有効であると考えている。この方法を教えてくれた前職の上司には本当に感謝しかない。


相手の心を読みすぎることの問題は、勝手に相手の気持ちを想像してしまうことにある。相手が本当に自分が想像したことを考えている確証もなく、勝手にそうに違いないと自分が思い込んでしまっている状態だ。要するに、解いた問題に対して答え合わせをしていない状態である。しかもここに加えて、相手の仕草や反応から、勝手に自分で答え合わせをしてしまう。本当に自分の想像が正しいかどうかは、相手に直接言葉で確認するまで絶対にわからないにも関わらずである。相手の気持ちを想像することに長けている人間ほど、この傾向は強まる。

「こう思わせてしまった」「面白くない話をしてしまった」と、確かめてもいないのに勝手に結論づけてしまうことが問題だ。

そして、言われてもいないことを「あのときこう言ったでしょ」「それくらいわかるでしょ」といったような理不尽な扱いを受けてきた人間は、多くの場合、相手が実際に発した言葉と、自分の思い込みが区別できなくなっている。


まず最初にやることは、相手の言ったことと自分の思い込みを明確に分けることだ。

分けるための取り組み自体は難しくない。1枚の紙を用意し、真ん中に縦に線を引く。そして以下の①②を左と右に分けて書く。


①相手が実際に言ったことを、できるだけ一言一句間違えないつもりで文字に起こす。

言ったかどうか曖昧なものは書かない。相手の言葉だけを正確に書き起こす。


②相手の言ったことを元に、自分がどう思ったか、考えたかを書く。


ポイントは、①で相手の言っていないことについては絶対に書かないことだ。自分が相手と話した状況を思い返し、相手の言葉をそのまま文字にする。

慣れれば頭の中で①②の整理ができるようになるが、最初は絶対に文字に起こして目で見える形にしたほうがよい。頭の中で作業をすると、私の経験上、自分の思い込みが混じる可能性が高いからだ。


①②を比べることで、自分が勝手に想像したことが何かがわかる。②については、この時点では自分のただの思い込みでしかない。それが実際に合っていようが間違っていようが、答え合わせをしていないこの時点ではただの思い込みに過ぎないということを繰り返し自分に言い聞かせる。相手が言っていないことについてあーだこーだ悩むのは必要のないことなのだ。相手もそんなことは求めていない。

そして次のターンで、実際に自分の想像が合っているかを確認するのである。ただし、ここで相手に遠慮してしまって確認するための質問ができないということが起きる。



次にやるべきは、相手と自分の立場を認識することだ。

これは仕事場での実践の例をもとにして書いている。もちろん友人や知人と話すときにも用いることができる方法だ。

私は忙しい相手を見ると、質問をしたくてもどうしても遠慮してしまい話しかけられなかった。しかし、自分が動かなければ仕事は進まず、大きく見れば会社の損失になる。

そこで、自分の行為に動機付けを行う必要がある。自分の行動を正当化するための理由を探すのである。


〇自分の行為に明確な目的を持たせる。

自分に振られた仕事は、周囲にどう思われようが、結果を出すことが仕事の意義であることを認識する。

〇自分の成果が上司やリーダーの評価に繋がっていることを認識する。自分が結果を出さなければ、その責任は上司やリーダーにもあるということを理解する。自分が遠慮をしたほうが、最終的には上司やリーダーに迷惑をかけることになるのだ。


以上のことから、自分は質問をする正当な権利がある、というふうに考えていく。


あとは相手に時間をとってもらって聞くだけである。恥ずかしながら、私はここまで理解していながら、相談する方法を知らなかった。簡単に相談できるようになったのは、相談方法を教えてくれた現在の職場のリーダーのおかげである。その教えてもらった方法を書いていく。


まず、何について聞きたいかを伝える。ここがわからないので相談させてほしいと頭出しをする。

相手が忙しければ「後にして」と言われるだろうが、そう返されたときは必ず「いつ頃であればご都合よろしいでしょうか」と予約を取り付けるようにする。


次に、どこまでわかっていて何がわからないのかを伝える。「ここまでは理解できたのですが、この後がわかりません」「自分としてはここはこう考えていて、おそらく正しいと思っているのですが、次がわかりません」のような感じだ。

わからないことがわからない場合、おそらく知識の不足が考えられる。その場合は、インターネットで検索できるものなら検索して調べる、インターネットで検索しても出てこないようなものなら、理解に役立つ資料がないか聞いてみる。なければ素直に直接教えを乞うしかない。



これまでの話を念頭に、具体的な例を書いていこうと思う。

たとえば、「来週までにこの資料のレビューをしておいて」と頼まれたとする。相手が忙しそうだったので、とりあえず「わかりました」とだけ返してしまった状況だ。


ここでわかることは、

納期は来週、自分はレビューをしなければならない、ということだけだ。

それまでの私なら、来週末までに、とにかく誤字やら何やら気になる点を直せばいいということだな、と考え、これ以上相談することなく作業を始める。

このまま行動するとどうなるかというと、まず提出が遅いことを指摘された上、もう少し早めに持ってこないと指摘部分の修正ができないだろうと怒られる。


この状況を①②でわけてみる。

①「来週までにこの資料のレビューをしておいて」

②・来週末までに、誤字やらなんやら気になる点を直せばいいんだな。

・相手は忙しそうだから、これ以上聞くのは迷惑そうだ。出来上がってから確認してもらおう。


①では来週とだけ書いており、②では来週末と書かれている。また、①ではレビューと書かれているのに対し、②では誤字をチェックする以外の内容が曖昧である。そして、相手が忙しそうであっても、実際に相談を断られているわけではないのだから、迷惑かはわからない。

初めのうちは、文字に起こしてもこの区別がつかないかもしれない。できるなら、誰かにチェックしてもらうのがよい。



この会話だけでは、来週のいつまでなのか、相手が求めているレビューがどのようなものなのかについては全く話されていないにも関わらず、勝手に自分の想像で作業に入ろうとしてしまっている。もちろん具体的な指示を出さない上司にも問題はあるかもしれないが、相手がどこに疑問を感じるかを予想して話すのはかなり難しいことである。そこに労力を割くなら、質問を待って、わからないことについてだけ答えるほうが簡単なのだ。そのため、こちらは素直にわからないことについて聞いた方が良い。

「期限来週までって言ってたけど来週のいつ頃だろうレビューってどうやってすればいいんだろう」と以前の私なら悩んでいたが、これは自分で悩んでも絶対に答えが出ない疑問だ。①②を整理することで、相手に確認しないとわからない部分を炙り出す。自分で悩んでも解決しない疑問は、早々に相手に確認するする必要がある。



ここで必要なコミュニケーションは以下である。

お忙しいところ大変申し訳ないのですが、認識がズレていると後でご迷惑をおかけすることになるので、少しだけ認識合わせをさせてください。

〇これは来週末までに提出すればよいでしょうか?何曜日の何時までに出せば助かる、などあれば教えていただけますでしょうか。

◇レビューをするのが初めてで、そもそも何を確認すべきかがわからないため、誤字以外で見るべき部分があれば何か教えていただけますでしょうか?


は枕詞だ。自分の相談はあなたに迷惑をかけないためにやるのだということを相手に伝える。そうすることで、相手に自分の話を聞いたほうがいいという認識をさせる。


〇では自分の思う期限が本当に正しいかを確かめるために、相手に期限を明確化させている。それと同時に、相手の気持ちを汲み取りにいくことで印象を上げに行っている。確認をすることで、逆に印象を良くできる(はず)のだ。もし資料の提出が上司の助かる時刻までにできなかったとしても、少し遅れる旨を早めに伝えておけば大丈夫なはずだ。そもそも相手としては、自分自身が助かる期限を指定しているだけなので、そこに遅れたからといって怒るのは理不尽である。

この、「相手にとって助かる期限を聞く」というのは、相談をしやすくするための布石でもある。早めの期限を別に設定してもらうことで、もしわからないことがあって仕事が進まないときに、自分が困っていることを伝えやすくなる。なぜなら相手としては、自分に合わせて行動してもらっているという意識ができているからである。自分のためにしてもらっていることを蔑ろにはしづらいだろう。


◇では、「ここまではわかるが、それ以上はわかりません」を伝えている。②で勝手に自分が解釈した「誤字がないかチェックする」ことは作業として正しいかを相手に確認し、それ以外のことはわからないので教えてほしいと素直に質問している。

初めてのことならわからなくて当然だ、と相手が優しければ思ってくれるはずだ。相手が優しくなくても少しのヒントは出してくれるかもしれない。答えてくれなければ、別の人に聞くか、とりあえず自分で考えたことを実行してみることになるかと思う。

ここでポイントなのは、「仕事内容を相談した」という事実を作ることである。他の人が見ている中で相談をしに行くともっと良い。もし良い職場なら、誰かが代わりに教えてくれるかもしれない。1番避けるべきは、相談すらせず自分で業務を抱え込んで爆死することだ。自分がどのような状況かを、誰かに知ってもらっていれば随分と仕事が楽になる。業務の進捗報告をしっかりと行い、相手に困っている点を伝えているにもかかわらず、返答がなく何の対処もしようとしないのなら、それは間違いなく相手の監督不十分であり、相手に責任があると言い切れる。自分が相談に行く姿を多くの人間が目撃していれば、それだけ仲間は多くなるのだ。

(もしそのような状況でも誰かが助けてくれないならその職場はたぶん終わっているのでやめたほうがいいと思います人を育てる気のない会社はいろんな意味で続かないので)



〇◇のテンプレートは私が日頃から使っているものだ。①②で自分の思い込みを整理し、相手に直接言われていない欠けた情報を〇◇で確認する。認識に相違があれば、その場で認識合わせができると思う。そこで

とにかくこれに沿ってコミュニケーションをとることを心がけている。



実践スキルとしては以上だが、相談を受け付けてくれない人間というのは確かに存在する。①②の方法を教えてくれる前に私の上司だった人は、本当に相談に乗ってくれなかった。確かに当時の私は相談が下手くそだったので、相手にとってはかなり迷惑だっただろうが、直接言ってもチャットで送っても無視され続けたので、そういう人に当たってしまったときは運が悪いと思うしかない……上司の上のマネージャーに相談して一時的には改善したが、二週間後には元通りだったので

そしてメンタルが弱いと自覚のある人間は、そういう職場からはすぐに離れることをオススメする。①②をまとめるための精神が死んでしまうので。

部下を育ててくれる会社と上司はちゃんとどこかに存在するので安心してほしい。少なくとも、私はちゃんと育ててくれる会社に出会うことができている。


もし気が向いたら以上の内容を試してみてほしい。通用しなかったらごめんなさい。

友人との関係の中でも、①②の実践は一度してみてほしい。相手の言葉だけを拾う練習をすると、気持ちがかなり楽になる。誰しも、自分が言っていないことを勝手に言われたことにされるのは気分のいいことではないだろう。相手はもしかしてこう感じているのだろうか、と思ったときは、素直に「こう思ってた?」と確認すればよい。相手の気持ちを確認する行為は、相手にとって「自分の気持ちをちゃんと理解してくれている」という安心感につながる。カウンセリングの場でも、患者の気持ちをカウンセラーが反復することは基本的な技術である。積極的に行ってもらいたい。

でも疲れたときはこんなこと考えずに寝るんだぞ。お疲れ様でした。

(前編)コミュニケーションのハードル:カウンセリングについて

前の内容だけでは救われないので、どうやってハードルを越えたのかの話をしようと思う。


自分がコミュニケーションの問題を乗り越えるにあたり必要だったのは、過去の精算と、コミュニケーションをする際に必要な心構えと聞き方のスキルを身につけることである。


前半は通院、後半は仕事場での実戦である。

一度に多くの文章を書くと大変疲れることがわかったので、ブログでは前半と後半に分けて書いていこうと思う。



まず前提として、仕事場に出ている時点で、過去の精算はあらかた終えていた。これについては、大学時代に必ず解決しなければならないと思い、様々なことを行なっていた。瞑想や座禅、音楽、ケア論、依存症の理論などを学んで取り組んでいたが、最終的に一人での実践には限界が訪れ、カウンセリングに通うことになった。

コミュニケーションの課題に気づく前の話をなぜするかというと、過去の精算というフェーズを乗り越えていなければ、スキルを身につけることはできなかっただろうと考えているからである。

具体的には、「相手の言葉の裏を読まなくてもいい」という認識を自分に与える必要があった。



カウンセリングに行くようになった経緯から書いていく。

元々物心ついたときから私には自傷癖があり、大学に入って一旦収まってはいたが、大学4回生の夏頃から激しくぶり返した。

気が遠くなるまで頭を殴る、というのが癖だったため、当初は傷跡としては残らない方法だったのが、徐々に傷跡として残ってしまう方法を選ぶようになってしまった。(なぜ自傷をするのかということについては長くなるので別で書こうと思っている)

社会人になるしさすがにこれはまずいと感じて、ゼミの先生からクリニックを紹介してもらってカウンセリングに通うことにした。

ちなみにカウンセリングに通うと決めてから電話をかけるまでに1週間かかった。電話口では緊張してほとんど話せなかったが、なんとか予約を取ることができた。


メンタルクリニックといっても、相手は精神科医ではなく臨床心理士だ。カウンセリングを行い、医師の診療と投薬が必要であるレベルと判断されれば病院にも繋いでもらえる場所を紹介してもらった。最初から精神科に行かなかったのは、自分の状態が、現在の環境によるものではなく、過去を引きずってきたために生まれたものだと理解していたからだ。薬を飲んで気持ちを落ち着けたとしても、自分の過去を整理しない限り治らないという確信があった。

毎週60分、15400円の治療である。非常に高価だが、結果としては行って良かったと思う。

話した内容は様々でほとんど覚えていないが、まず、なぜ自分が今苦しんでいるのかを紐解いていった。そのあと、その苦しみはなぜ起きているのかを深掘りしていく。

流れとしては以下のような感じである。

・今辛いと思っていることを話す

何が辛かったのかを具体化する

なぜ辛いと感じるのかを言語化する

どんなときに自分が辛くなるのかを知る

過去の親や周囲への怒りの言語化

親や周囲にしてほしかったことの言語化

現在はそれを得られているか


最終的な内容は、「自分を好きでいてくれている人の存在を認め、自分が愛されているということを知る」ことに集約した気がする。

それまでは、周囲に気持ちを裏切られ続けたことで、誰からも本当の意味で自分が愛されてはいないと考えていた。それを見直し、自分を傷つけている人間からは距離を置き、自分に関わり続けてくれている友人に目を向けるようになろうというふうに自分で結論づけることができた。


カウンセリングというのは非常に体力を使う。押し込めているものを引っ張り出すのだから、押し込めることを繰り返していたそれでとは全く逆の行為をするのだから、それは疲れて当然である。

私は大学で心理系の勉強をしていたから、カウンセリングがどのような場所であることを知っていたし、どのような話をするべきかも知っていたからスムーズに治療を進めることができたのだろう。カウンセリングは誰かに答えを導いてもらう場所ではなく、自分で勝手に治っていく場所である。膿を吐き出し、自分を再構築する場所である。カウンセラーがすることは、相手が感じていた気持ちを否定せず、感情の発露を促すことしかない。


私のイメージだが、何かを思い出すとき、私は無数にある引き出しの中から一つの取っ手を掴むようなイメージを持っている。

嫌な記憶を思い起こしそうになった瞬間に、その取っ手から手を離して鍵をかけ、ポーンと遠くに置くというイメージを繰り返し行なっていた。

その結果何が起きたかというと、様々なことを思い出せなくなり、常に自分の頭の中に霧がかかっているような状態になってしまったいた。引き出しを遠くにやるどころか、引き出しの開け方を忘れてしまったようだった。

(このイメージを行い始めてから思考能力が急降下して学力が明確に下がったので絶対にやらないでね)

カウンセリングでは、開け方を忘れてしまった引き出しを開けるための手助けをしてもらったと思っている。封印していた記憶を呼び起こして、自分がどのように受け止めているのかを確かめていった。


そして半年ほど通院し、卒業までになんとか寛解し、めでたく社会に出れることになった。



私は過去の精算が必要だと思っているけども、さまざまな人に囲まれ接していくうちに、過去を気に留めなくなることは往々にしてあることだ。それが1番幸せだ。

しかし、相手の好意を受け入れられないとか、裏切られるんじゃないかといつも不安だとか、どうしても人付き合いで無理をしてしまい全てを捨てて失踪したくなるとか、常に相手を疑ってしまって疲れるとか、そういったことを常日頃から思ってしまうような人にはカウンセリングをおすすめする。そんな人はもっと楽になってもいい。


私のように、嫌なことをずっと続けなければならなかった人は、好きなことばかりしている人のことをどうしても妬ましく感じてしまう。好きなことをしてきた人間というのは、多くの場合自信に満ちていて、友人に囲まれている。そのような人間を認めることは、自分が嫌々してきた努力が無駄なものだったと認めることに他ならない。そもそも好きに生きるなんて選択肢が自分の人生になかった人間からすれば、そのような人間は許せなくて当然なのである。

だから、自分がいざそのような人間になれるチャンスが来たとき、それを拒んでしまう。「そんな楽観的な人間になってやるものか」と意固地になってしまう。苦しんできた過去の自分を裏切ることになると思い込んでいる。


私は楽観的な人間を羨ましい思いながらも、なることに罪悪感を感じていて、自分を苦しめているあんなやつと一緒になるものか、と意地になっていた。しかし自分が楽になるためにはその気持ちと折り合いをつける必要がある。

自分が苦しまないようになっても、人を簡単に傷つけるような自分の嫌いな人間にはならない。このことを受け入れるのが1番大変だったかもしれない。自分の苦しみは自分自身のアイデンティティの一つでもあるので、それを手放すことは傷ついてきた自分を置き去りにすることを意味する。

過去の自分を抱えて生きていると、その苦しさを恨みながらも愛おしさを感じてしまう。手放すタイミングがあるにも関わらず捨てられない。連れていかなければならないと背負っている過去の自分自身は、案外勝手に歩き出すこともある。背負わなくても勝手に生きていくくらいには成長してることもある。


カウンセリングにおいて、自分はもう楽になっていいのだと受け入れられたことが1番の収穫だろう。顔色を常に伺わなくても怒鳴られるようなことはないし、聞いたことにはちゃんと答えてくれる。自分の気持ちを明かしても、それを無かったことにはしない。そうしてくれる人の方が圧倒的に多いのだ。少なくとも、私の周囲はそうなはずだ。


最後に、カウンセリングに行く大きなきっかけの一つになった、友人が言ってくれた一言を忘れないように書いておく。

「〇〇(私の名前)は自分に興味がありすぎるんだよ」

他人のことばかり気にしてしまうと自分では思いながら、友人は私をそのように評価していたのだった。この言葉が転機となり、私は自分自身に囚われていることを自覚させられ、自分の外側に意識を向けるようになった。相手の顔色を伺って人の気持ちを読むというのは、相手自身ではなく、自分が勝手にイメージした相手と会話する行為なのだと気づき、それが逆に失礼なことであるのだと考えられるようになった。


自分が抱えている問題の原因が本当はどこにあるのかを自覚し、自分を解放していく作業がカウンセリングだと思っている。

カウンセラーもピンキリで、自分に合う合わないがあるため確かにハードルが高い。でも試さないよりは試してみた方がいい。1ヶ月は通ってみてほしい。私は行ってよかった。



ここまでで、私は相手の気持ちを読みながら話さなくてもいいということを理解できた。しかし、人の気持ちを読まずに行うコミュニケーションをしたことがないため、どうやって会話をするのが正しいのかがわからない。

その方法を後半に書く予定である。

コミュニケーションのハードル

社会人になって、他の人が当たり前にできることが自分にはできない、ということは色んな人に起きていることかもしれない。
お金という責任が発生することによって、目をそらしていたり直らないと諦めていたりすることを克服しなければならないときが来てしまう。
私はコミュニケーション全般において、それを余儀なくされた。

仕事においてわからないことが見つかると、先輩に相談し、少しわかることであれば認識があっているかの確認をするというのが一般的なフローかと思う。
私はこの「誰かに相談する」「確認する」という行為が非常に苦手だった。
相談することが苦手、というよりかは、自分から人に話しかけに行くことに大きなハードルを感じていた。
特に、相手が忙しいことをわかっていながら自分のために時間を使わせるということに大きな罪悪感があり、遠慮を繰り返しては他の同期に先を越され、気がつくと夜の21時を回っていた、なんてことを繰り返すことになった。
私がそんなことをしているうちに同期はどんどん知識を吸収し、活躍し始めたのである。

 

社会人になってこのことに大きく躓いた。
そのような状況で私が思っていたことは、「なぜ同期は先輩の仕事をする時間を奪う自分のことを邪魔だと思わないのだろう」ということだった。
私は相談・確認という行為に限らず、どのような会話であっても、「相手の時間を奪うこと」だとどうしても思ってしまうのだ。


自分がそう思ってしまう原因について、今では心当たりがある。

昔から、私は自分の都合で誰かを動かすということが苦手だった。
赤ん坊のころから、母親が忙しいときは泣かず、手を止めてから軽く声をあげるような子供だったと母から聞いている。
あまりにも泣かないため、飲むミルクの量が少なくお医者さんに指摘されたとのことだから、人に遠慮をする性質というのは生まれ持ったものなのだろうと思う。
しかし、その傾向を強化させたのは間違いなく家族の習慣だ。


大きな原因は2つある。
1つ目は、私が自分の意志を相手に受け入れてもらえるイメージを持てないことだ。
小学生のとき、週に4日の習い事をさせられていた。どれも自分がしたい、好きだと思えるものではなかった。
特に水泳については、何度も行きたくないと母に訴えた。泳いでいるうちに、どうしてこんなしんどいことをしなければならないのかと涙が出てくるくらいには嫌いだった、
最初のうち母は、「バタフライまで泳げるようになったらいいよ」と言っていた。その言葉を信じ、なんとかバタフライを習得し、証の7級のバッジを持ち帰ったとき、母は笑いながら言ったのだ。「1級まであと6つだから頑張って。」
絶望に突き落とされた気分だったが、なんとか100メートルの個人メドレーを泳ぎきり、1級のバッジを持って帰った。
ただ、私が1級を取る直前、1級の上に新しく初段〜五段の階級ができたのだ。嫌な予感がした。
予想通り、母は「あと5つだから、頑張って」と言ったのだった。
その後、何かの理由で水泳をやめることになった。理由は覚えていないが、私がやめたがっていたからという理由ではないことは覚えている。

同じようなことだが、中学の時にとある大手の塾に通わされていた。
勉強自体は嫌いではなかったが、そこの英語講師が嫌いで、毎回行きたくないと訴えていた。
実際に塾の時間になるとお腹が痛くなり、そこで塾に休むことを伝える電話をすると途端に腹痛が収まるのである。
そんな私の様子を見て。母は「本当に演技がうまいなあ」と言うことを繰り返していた。
(ちなみにこの講師は不機嫌であることを隠さず、突然怒鳴りだしたり、他の教科の勉強ができないくらいの課題の量を出したり、カリキュラムにない補習を別の曜日に行い来なければ怒鳴る、理不尽なことばかり要求するような講師だった。実際この講師のせいで、知っている限り生徒の5人以上が隣の塾に移っている。母もそのことは知っていた。)

同級生に愚痴をこぼせば、「お金持ちだから塾に通えていいよね」「賢いんだからいいじゃん」と妬まれ、先生に相談すれば「なんとかなるよ」としか言ってもらえなかった。問題行動もなく、成績優秀だった私は周囲の人間からすると心配するに値しない人間だったようである。

次第に不眠症希死念慮が強くなり、人と話すことが億劫になっていった。
中学2年のときだったと思う。
自分の誕生日、何がほしいと母が聞くので、「何もいらないから学校と塾を休ませてほしい」と伝えた。
そのときの言葉を今でもよく覚えている。
母は笑いながら、「それはあかんわ」と言ったのだった。

そのときに自分の心が完全に折れてしまった。
それ以来、誰かに自分の気持ちを伝えようとすると喉がつっかえて声がでなくなってしまった。
誕生日にすら自分の気持ちは届かなかったという事実は、自分を絶望させるには十分だった。

相談ができない原因の1つは、本当に大切な自分の気持ちを否定されたことで自分の気持ちを伝えることができなくなり、自分の言葉で相手を動かせるというイメージが完全に壊されてしまったからである。

 

1つ目は重たい理由だが、2つ目は習慣の話である。
これは社会人になってから気づいたことだが、私の家庭にはそもそも相談・確認という文化がなかった。
そのため相談の方法を知らない。どういうときにどのように相談すればいいのかわからないのだ。

たとえば、我が家ではいつも突然に買い物や旅行に駆り出される。
旅行の前日になって初めて伝えられたり、どこに何の目的があって行くのかを知らされずに突然買い物に行くよと家を連れ出されたりと、何かと情報の共有が欠けているのである。
最初の方は場所や時間を確認していたのかもしれないが、毎回のことなので気にしなくなってしまった。

また、母はいつもひとつ先のことをする癖がある。
たとえば、「暑い」と誰かが言えば、何も言わずにクーラーをつける。誰もつけてほしいと頼んでいないのにもかかわらずである。
食事が終わり、片付けが始まると、最後に食べようと残しておいたおかずが乗ったお皿を何も言わずに洗いに行こうとする。父はよくそんな母の行動に怒っていた。

父はというと、気に入らないことがあるとすぐに「気分が悪い」と言って怒り出す。どこが地雷かわからないため、父と話すときは私はいつも頭の中で何度も言うことを推敲して話すようにしていた。
父が今どんな気持ちなのか、機嫌は悪くないか、この話題は出してもいいものか、父の前ではずっと考え続けていた。
機嫌を損ねた瞬間アウトなので失敗ができない。怒り始めたら自分が絶対的に正しいと主張されてしまう。

我が家には圧倒的にコミュニケーションが欠けていた。言葉を交わしながら気持ちを伝えていく、という文化がそもそもない。
自分がしたいことに相手を無理やり合わせる。合わせるしかない方向に持っていくことが我が家の文化だったように思う。
仕事の中で人を動かすためには、認識合わせを行い、合意をとることが必要だ。
認識もあっていない、合意もとりようがない環境でいるのが普通だった私は、「確認をとる」という難易度の高くない問題に大きくつまづくことになったわけである。

 

 


ここまで語ってきたが、社会人となって4年目、この問題はほとんど改善された。
もうかなり長く書いてきたので、改善方法や続きについては別のブログで書こうと思う。


家族というのは子供の成長に大きな影響を及ぼす。どれだけ嫌であってもだ。
なかなか逃れられるものではないし、語るのも辛い。
自分がこうなったのは親のせいだ!と断言することは、良い子として生きてきた人間には結構難しい。
一応書いておくがこのブログを見ると、なんてひどい親だと思うかもしれないが、今の関係性は良好である。当時はいろんなタイミングが重なり、皆自分のことだけで精一杯だった。
遠慮がちな私は面とむかって反抗することができなかったので、この文章を書くことは親に対しての少しの反抗だと思ってほしい。
親を恨むのは悪いことではないし、一度通ってもいい道だと思う。
このブログでは、自分語りを行うことで、自分自身と向き合うこと、自分自身の振り返りを目的としている。
最後に書くのもなんだが、もし気分が悪くなったら途中で読むのをやめてほしい。
苦しみに浸りたい、そんなときがあれば読んでもいいかもしれない。

心と性別、患い

今年の4月、卵巣嚢腫の精密検査のため、初めてMRIに入った。


10年以上に渡って、激しい月経痛と付き合ってきた。元々は吐き気を伴う腹痛があったのが、20歳を越えてからは1週間の生理のうち1日鎮痛剤を飲むだけでなんとか過ごせるくらいには症状が落ち着いていた。

そして2年前、営業中に突然お尻が爆発するのではないかという激痛に襲われ、初めてレディースクリニックを受診した。診断は卵巣嚢腫。女性の10人に1人は抱えている、良性の腫瘍らしい。その時点では5センチほどの大きさだった。良性の腫瘍ではあるが、6センチを越えると卵巣がねじれるリスクが高く、最悪死ぬこともあるため手術をしたほうがよいらしい。そのときはまだ微妙な大きさだということで、とりあえず経過観察ということになった。


それからさらに2年が経過し、その間月経痛に変化は無かったが、整骨院に治療に通っても全く治らない腰痛が腫瘍のせいなのではないかと思い始めた。母に相談し、自分が生まれた病院の婦人科に受診した。

そこで精密検査を受けたほうがいいと言われ、MRIの予約をとった。


結果、5センチ程度だと思っていた腫瘍は6センチあり、アーモンドほどの大きさのはずの卵巣は鶏の卵くらいに腫れ、直腸を圧迫していた。そりゃ痛い。逆に、ここまで大きくなって、症状が慢性腰痛と排便痛しかないことに驚きである。


まずはホルモン治療(低用量ピルの連続服用)で様子見、3ヶ月後に大きさが変わらなければ手術という結論になった。




話は変わるが、私は大学時代、心身相関についてのゼミに所属していた。ゼミの先生はヨガの先生でもあり、体を動かすことによって心を治療する方法やメカニズムについて研究していた。

その先生に教わったことの中で、自分が抱えているメンタルの問題によって体の一部を病んでしまう話が強く印象に残っている。

たとえば、家庭の父親の不在に悩み、足の親指(親指は父親を表す)が変色してしまった事例や、ずっと我慢を続けた人がALSになってしまい、心だけでなく体も動かなくなってしまった事例などがある。

もちろんそんなのは偶然だと言ってしまえるような話だ。因果関係があると認識するかしないかの問題である。

しかしこのことを学んでいた私は、卵巣を病んだという事実について大きな納得感を持っていた。

長らく自分自身の女性という特性について強いコンプレックスを抱いていた自分にとって、性別の象徴である生殖器を病むということは全く驚くようなことではなかったのだった。


今でこそ普通にスカートを履いたり化粧をしたりすることに抵抗はないが、4年前ほど前までは、自分の性別に対して強い恨みを感じていた。自分の性別に違和感がある、というよりかは、強い「恨み」である。なぜ女性であらねばならないのか、なぜ女性性というものを抱えなければならないのか。なぜ女性と男性に分けられたとき、女性というグループに押し込められなければならないのか。

現在は女性の辛さについての議論が特に盛んである。社会が女性に強いている不平等さについて説くものが多いが、私の恨みはこういったものとは少し違う。一時期は同一視していたこともあるが、私が抱える問題の本質は、自分の過去の嫌な経験だった。



小学校低学年のとき、私はドッジボールが好きでずっと男子と遊んでいた。小学校3年生になると男女の体格差が出てきて、男子の力についていけなくなってしまった。

朧げに、「男子だったら良かったのに」と思っていたとき、同級生の女子に

「〇〇ちゃんって男好きなの?」

と言われたのだ。

一瞬何を言われたかがわからず、固まってしまった。私は決して男子の輪の中にいたかったからドッジボールをしていたわけではない。私はただ楽しくドッジボールをしたかっただけで、結果的に男子の輪の中にいることになったというだけなのだ。

なぜそんなことを言われなければならないのか。性別に対する壁を感じたのはそれが初めてだった。そして、男子だから、女子だからと言ってくるのは決まって女子だった。


林間学校や修学旅行の際、女子部屋では決まって布団に潜りながら、好きな人は誰かのカミングアウト会が始まる。

拒否権はほぼ無く、好きな人などいないと話そうが、秘密だと口をつぐもうが、拒否すれば仲間外れが始まるのだ。幸いにも陰湿なイジメは無かったが、「あの子は絶対〇〇君のことが好きなんだよ」なんて根も歯もない噂を勝手に流されたりする。

もちろんこの「好きな人カミングアウトしなきゃ仲間外れな」の話については、男子でも同じようなことがあると思う。しかし、私にとってはそれを「同性の女子」にされたという事実が傷になっていた。



あげればキリがないが、幼い頃私に嫌なことをしてきたのはいつも決まって女性だったのである。いつのまにか、女性という存在自体が苦手になってしまった。


そのような人間と自分が同じ性別であるということに耐えられなかったのだと思う。男性になりたいというよりは、女性という性別から逃げたかった。

しかしおそらくは、自分が女性であったからこそ女性と接することが多く、その分悪い面が見えたというだけなのだと思う。自分が男性であったならば、同じように男性嫌いになっていた可能性もある。人間を男女の2つに分ける必要はなく、「そういうこと言うお前なんて嫌いじゃボケ」と言えれば問題はなかったわけである。


ありがたいことに高校・大学では良い縁に恵まれ、両性ともに良き友人に恵まれた。友人と接していく中で、自分が持っていた女性のイメージは払拭され、逆に男性の悪い部分も感じることができた。コンプレックスの正体に気づき、自分の性別を受け入れることができたのは、間違いなく大学の学部の友人やサークルの方々のおかげである。

恨むべきは女性という性別ではなく、嫌な気持ちにさせてきた人々自身だったのだと今では理解している。



(世間一般的な男女の差異、男女間差別について思うところはあるが、ここでは個人的な問題のみを語ることにする。自分の女性嫌いについて、本質的な問題では無かったとはいえ世間的なジェンダー問題が全く関係がなかったわけでは無い。書くことがあるかもしれないが、ジェンダーについて学問的に学んだわけではないため、あくまで個人的な感想になるだろう。それを表に出すかどうかはちょっとまだわからない。)



自分の性別について心の整理が終わった今、卵巣を治すタイミングが来たことに強い納得感がある。自分の中のイニシエーションというか、もう1段階ふっきるきっかけになるだろうと思っている。友人も母親になったことだしね。でも手術はお金かかるから嫌だなあ




最後に、そもそも性別ってなんだっけと混乱する大好きな漫画を置いておく。登場人物の性別が変化しすぎて意味がわからなくなるラブコメです。


https://magazine.jp.square-enix.com/gangan/introduction/majono/



「しまなみたそがれ」や「青のフラッグ」もすごい名作で読むと心が抉られて放心してしまうのだが、軽く読めるという意味では「魔女の下僕と魔王のツノ」(通称魔女ツノ)をおすすめする。とにかくキャラが全員可愛い。魔女ツノを読んでから性別がどうでもよくなってきて、最近ソフトなBLを読めるようになりました。幸せならOK

「変わっている」と言われること

親の言動は子供の生育に大きな影響を及ぼすということは広く知られていると思うし、
実際多くの人にその実感があると思う。
両親の言葉で覚えていることはたくさんあるが、その中でも母が私によく言っていた言葉がある。

 

「変わってるって言われるの、嬉しいやろ?」

 

母は決まってにんまりと笑って言う。
こういうふうに何度も言われて育ってきたため、自分一人だけが周囲と違うことをしていたり、別のことを考えていても全く気にしない人間に育った。このことに関しては非常に感謝している。
身なりに気を遣うことなく大学に通い、世間の流行に鈍感で、結果的に目立つようなことをしてもあっけらかんとしていられたのは良くも悪くも母の教えのおかげである。
今思い出すと恥ずかしいことは結構あるが。


また、自分のスタンスにはTwitterの存在も大きく関わっている。
高校生のときにTwitterを始めてすぐにTwitter廃人と化し、毎日100ツイート以上のツイートをする中で、案外自分と同じ考えを持っている人や賛同してくれる人がいることに気づいた。
中学生まではほとんど友人もおらず孤立していたが、Twwiterには仲間がたくさんいたのだった。
Twitterのつながりについては思うところがたくさんあるので別の記事で書くことにする。)
いくら変だと言われようが、似たような人間が全くいないかと言われると絶対にそうではない。似ていなくても自分を受け入れてくれる人間は多くいる。
ある世界では変人かもしれないし、別の世界では凡人かもしれないのだ。

 

現在私はIT系の企業で働いている。私を含めほとんどの人が中途入社かつ未経験で入ってくるため、いろんなバックグラウンドがあって面白い。
美大日本画を専攻していた人や、中国の寒い地方から出てきた人、元料理・バーテンダーなど、とにかく多種多様である。
共通しているのは、みんな何かに夢中になっており、それぞれが専門的な趣味を持っていることである。
そんな現場なので大変居心地が良い。おそらく皆「変わってるね」と言われたことのある人だと思う。


「変わっている」という言葉にはいろんな意味が含まれていると思う。
一般的には褒め言葉ではないかもしれない。しかし、私にとっては嬉しい言葉である。


今は自分が変わっているかどうかなんて重要ではないと思っている。
でも、「ヘヴィメタルバンドのコピーバンドでボーカルしてました」と言ったときに「変わってるね」と返されると、なんだかとってもニヤニヤしてしまう。
以下は最近聞いた中で最高のメタル。
https://www.youtube.com/watch?v=mIExZHg9Bvs

www.youtube.com

 


ちなみに、そんなふうに私を育ててくれた母はかなりの健康オタクで、帰省するたびに新たに購入した筋トレグッズを見せてくる。
一時は腹筋が割れていた。当時陸上部だった私よりもきれいな体つきだったのは今でも解せない。
最近は遠くまでトレーニングに行っているらしい。元気なのはいいことだ。

ブログ開設

ブログを始めようと思ってもう何年目かわからない。グタグタとやるやる詐欺を繰り返してきたが、投稿しないと何も始まらないということで、この度アカウントを作成し、えいやと送信ボタンを押して見ることにした。



社会人になってから、自分のことについて語る機会はほぼゼロとなり、自分の殻が曖昧に溶けて何となくの人生に流されていっている感じがする。謎の使命感に追い立てられていた昔の自分であれば、「これはいけない、確固たる自分であらねば」ともがいていたと思うのだが、精神的に健康になった現在では、成り行きに任せるのもいいかなーと思っている。


それでもブログを始めてみようと思ったのは、人と会わない日を繰り返している中で、自分を語る言葉を無くし始めていることに気づいたからだ。また、これまで紆余曲折して歩んできた道がありながら、それを文章という形にしておかないのは、単純に勿体ないと思ったからだ。


コロナ禍の情勢の中、人に会えない日が続いている。多くの知人友人が思い出の中の人になってしまうのが悲しい。話の中での友人と、現実の友人との乖離がどうしても生まれていってしまう。私自身変化の激しい人間(だと思っている)であるため、過去の自分があたかも現在の自分であるかのように語られるのは嬉しいことではない。




まあグタグタと書いてきたのだが、結論を言うと、自分語りをする場を作りたかったので作りました。


自分語りはカッコ悪い、構ってちゃんだという人がたまにいるのですが、自分のことを語らないと病む人間というのは多くいる。アウトプットしないと心身に支障をきたす。自分語りが苦手な人ほどカウンセリングを受けてほしいと思うほどに、自分にとっては大きな問題である。

自分語りなんて誰が興味あるんだ、と主張する人もいるのだが、私は大好きである。人のバックグラウンドを知るのはとても楽しい。経験が共有されることによって、その人の話が立体的に迫ってくるようになる。実感をもって触れられるようになる。解像度が増すというか、納得度が増すのである。


ブログであれば好きな人だけ見ると思うので、徒然なるままにマイペースに書いていければなと思います。


よろしくお願いします。