下ネタとフラワーバッチレメディ

読者の方は、街で待ち合わせをしていて、待ち合わせ相手の美少女が「うんこー!!!!!!」と言いながら笑顔で駆け寄ってきたことはあるだろうか。


私はある。京都の街中で。




唐突に友人から「うんこ」のような小学生レベルの下ネタを言われたとき、人はどんな反応をするだろうか。

当時私は苦笑いするしかなかったのだが、一般的には不快感を示すか、他人のフリをするか、一緒に笑うかのどちらかであるように思う。大学一回生だった私は、その言葉を聞いて不快に思い、少し他人のフリをしようとした。笑うことはなかった。



よく小さい子供が「うんこ」「おしり」「ちんちん」などの言葉が出るだけで爆笑することがあると思う。私は恥ずかしく思うタイプの人間だったためその経験はないが、似たような経験は多くの人間があるのではないだろうか。そして多くの場合、成長するにつれそのような言葉は人前では言わなくなる。大変親しい間柄を除いて。Twitterでは毎日のように見る言葉だが。


思い返してみると、私の家はそういった下ネタに関しては厳しい家だったように思う。まあクレヨンしんちゃんが視聴禁止だったことは覚えているが、自分から進んでそのようなことは言わなかったため、別段それについて怒られたことはない。強く躾けられたことはないが、口に出してはいけない言葉だという認識はあった。

幼稚園や小学校で日常的に聞く言葉ではあるが、私はそれを「ちょっと男子〜」と諫める立場であった。




転機は、大学一回生の冬から組み始めたバンドである。そのバンドは私以外が全員男性で、結構ブラックジョークや下ネタが会話に出ることが多かった。その度苦笑いをしていたのだが、段々と一緒に笑えないことが寂しくなってきたのだった。一人だけ女性ということもあるし、私が複雑な表情をしていることに気を遣われるのも申し訳ない。

ここは素直に笑えた方がいいのではないだろうか、という気持ちが芽生えてきたのである。


そもそも、笑っていけないと思っているのはなぜだろうか。

誰かを傷つけているわけではない。むしろ口にするだけで皆が笑う。こんなに幸せなことがあるだろうか。日本人共通の魔法の言葉である。笑わない方がもったいないのではないか。



ちょうど同時期、大学の授業でフラワーバッチレメディという補完療法を知った。

このフラワーバッチレメディという療法は、内容を聞くだけだと大変怪しいものである。

簡単にまとめると、特別な方法で花や木からエキスやパワーを水に転写し、その水を自分の気分にあわせて飲む、というものである。

パワーを転写した水のことをレメディと言い、レメディは全部で38種類ある。フラワーバッチレメディでは、人のマイナスな感情は38種類に分けられるとされており、レメディはそれぞれ気分に対応しており、飲むタイミングでどのレメディを飲むべきか自分で考える。

詳しい内容は以下を参照してほしい。


http://www.bachflowerassoc.com/sub2sub2rem.htm


下ネタを笑えないことについて考えているとき、私は10番のクラブアップルと27番のロックウォーターの説明文に惹かれた。


クラブアップル:ささいなことが気になったり、自分がなんらかの形で汚れることを恐れる時に。

ロックウォーター:ものごとはこうあるべきと考え、それ以外の考えはうけいれにくい時に。完全であろうとして自分に楽しみを許さず、かたくなになっている時に。


これを読んだときに、「もしかすると私は、正しく良い人間であろうと振る舞う自分が汚されると感じているのではないか?」ということをふと思った。



昔から私は正義を振りかざすところがあり、正しいことを周囲に押しつけるところがあった。親に言われたことを守らない人間が嫌いだったのだと思う。親に言われたことが正義で、それを守れないのはおかしいと思っていた。典型的な良い子であろうとし、それを周囲にも求めていた。

「うんこ」で笑わないことは、自分が良い子でいるための一つの要素だったと考えられる。

成長して、周囲に自分の正義を押し付けることはしなくなったが、引き続き私は自らに良い子であることを求めた。親が怒らないように。


それが親元を離れると、友人や先輩と関わる中で良い子でいることのメリットを感じなくなっていった。むしろ良い子から抜け出せない自分に腹を立てていた。

自分が汚されると感じるのは良い子であろうとしていたからで、そんなものを守る必要は全くないことに気がついた。むしろ積極的に壊していくべきである。


「うんこ」で笑うべきではないと長らく勝手に思い込んでいたが、これからは気兼ねなく精一杯楽しもうではないか。


こうして、完全主義的な自分を打ち壊す一歩として、私は「うんこ」で笑うことにしたのだった。





でもやっぱり挨拶がわりにされるのは25歳の身からするとかなり恥ずかしいので、会ったときは普通にお久しぶりですと言わせていただきたい。