差別

差別というものについて、ここ最近ずっと考えている。
なぜ差別はあるのか、なぜ自分は差別について考えているのか、なぜ差別というものについて自分はここまで敏感なのか。そもそもなぜ差別はだめなのか。

私が特に問題視するのは、たとえば「障害者は生きている意味がない」と考えている人物がいたとして、その人物はもし自分が障害者になったら自殺するよと断言している。自分が誰かや国のお荷物になるくらいなら迷惑かけずに喜んで死にますよ、というような主張である。
そこには、自分の命はどうでもいいという一種の厭世感と、もしも自分がそうなったら自殺するんだからこういうことを言ってもいいでしょ、という考えがあるように感じる。障害を持つのは仕方がないことだと言っておきながら、自分が偶然そうではないことを棚に上げて、自分が相手を見下していることにも気がついていない。
見下せる立場にいるということ自体の加害性を全く理解していない。

 

差別という言葉を辞書で引いてみると、以下のように記載されている。

    1 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の差別を明らかにする」

    2 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%B7%AE%E5%88%A5_%28%E3%81%95%E3%81%B9%E3%81%A4%29/

多くの場合、2の「他よりも不当に低く取り扱うこと」の意味で用いられるかと思う。
この「不当に低く取り扱う」という部分の認識が個人によって大きく異なるため、非常に難しい問題となっていると思う。


差別についていろんな記事を見てみたが、納得の行く答えは見つからない。
これは倫理学が積み上げてきた命題の1つだと思うが、「なぜ人を殺してはいけないのか」という子供からの質問に知識人の大人たちが答えられなかったというテレビ番組での出来事があるように、説明しきることが困難な命題である。
個人的には、納得できる理由が人それぞれ大きく異なるため、真理として語るのが難しいと考えている。
多くの人間は人が不当に扱われていると感じると、その共感性から嫌悪感を覚えると思うが、共感ができない人、そもそも他人が不当に扱われることと自分自身を地続きに考えられない、
自分が不当に扱われる可能性を疑わない人間からすれば、周囲の言葉や積み上げた歴史は説得材料になりえない。
また、自分が長い間不当に扱われてきた経験から、そんなことは当たり前なのだから気にするほうがおかしい、諦めるしかないと主張する人間もいれば、なんで自分よりもあいつが良く扱われるのだと、同じく差別を受けている人間に対してその差別の程度の差異について憤る人間もいる。

 


私自身の考えを一旦まとめておきたい。
私の思う差別問題(被差別の苦しみ)とは、「個人として扱われない」ことだ。
何をしても親やステータスのせいにされる。それは、「お姉ちゃんだから我慢できるでしょ」とか「男なんだから泣くな」といったようなありふれた「価値観の押し付け」とほぼ同義だと感じている。自分の意思を無視され、勝手に権力ある誰かや文化の価値観に押し込められるということだ。差別とは、社会的な意味で言うと、マジョリティという権力に価値観を押し付けられていることそのものなのではないか。
相手よりも自分(自分たち)が圧倒的に権力を持っているからこそできることでなのではないか。

出口真紀子さんが以下の文章で、差別におけるこのような特権を「マジョリティ性を多く持つ社会集団にいることで、労なくして得ることのできる優位性」と述べている。


https://co-coco.jp/series/study/makiko_deguchi/


私自身が差別について敏感なのは、自分がある部分でマイノリティであることを強く自覚していたからだと思う。
家のことで仲間はずれにされたり、一般的に見て学力が高い方だったこと、自分の性別に対して嫌悪感を抱いていたことなどである。
多くの人間から自分自身を勝手に定義されることの苦しみは、常にマジョリティであり続けている人間には本当の意味で理解できる機会はない。
自分が加害者であることを認めるのは非常に難しく、なおかつ苦しみを伴う。しかし自分の加害性に目を向けることが最も大切なことであると感じている。

 

 

加害性の自覚というのが多くの人間に足りていないものではないかとずっと私は思っている。
自分は差別をしないとか、中立だと思っているとか主張すつ人間もいるが、人間はどうしても自分の思い込みの中で生きるしかないことを自覚しなければならない。
だからこそ指摘されたときに、その言葉を咀嚼する余裕を残しておきたい。
咀嚼するための余裕がない人間がいることも確かだ。そしてその人数は年々貧困化によって増加しているのではないかと懸念している。
上から「差別はだめだ」と押し付けるのではなく、なんとか自発的にそう思えるような環境を作っていきたい。
ただそれには全く勉強が足りていない。自分の子供にちゃんと教えられるだろうか。全く自身がないのが現状だ。
私としては、自分自身が大切にされる経験が人を大切に扱うことに繋がると信じているが、果たしてちゃんとそうなるのだろうか。とても不安である。

 

 

 

哲学は少しだけかじっているが、倫理学については高校の倫理レベルの知識しかほとんどないため、もしおすすめの書籍がある方はぜひ教えてください。

一通り書いてみたが、考えが全くまとまっていないので、また勉強して書かなきゃいけないかもしれませんね。