男女の認識の差

私は現在異性と同棲をしている。自分の家庭が男1女3の家族構成であったこともあり、男女の物事への認識の差に日々驚かされている。
大学のサークル内でも同じような驚きを感じたことがあったことを思い出し、非常に面白い気づきだと思ったため今回書いてみようと思った。以下は4つの例である。不思議なことにすべて下の話である。少しでも苦手な人は見ないことを推奨する。

 

先に伝えておくが、どちらの認識が間違っているとか、悪いとか、そういったことを論じるつもりは全くない。物事のとらえ方は自分の生きてきた経験から育まれるものであり、そこに優劣をつけることはその人の人生を否定することにつながるからである。

フラットに、純粋な疑問をもって読んでほしい。

 

 

①トイレの大小
周囲の男の人いわく、トイレに向かうとき、今から出すのが尿なのか便なのか、明確に意識するものらしい。
そりゃあ男性は便器自体が分かれているので意識せざるをえないのだと思う。

女性の私としては、便意をもよおしたときは間違いなく便だとわかるのだが、たいていの場合は尿意を感じてトイレに行った後、ついでに出そうなら便も出す、ということがほとんどである。
さいころに初めて男の人の小便器を見たとき、「おしっこしてるときにうんちしたくなったらどうするんだろう……」と本当に真剣に考えていた。ちなみにこれは今でも考えている。自分で考えても永遠に答えが出るはずがないのだが。

 

もしかして男の子のほうが幼少期に「うんこ」という言葉を使うことが多いのは、トイレトレーニングで親が大なのか小なのか聞いているからなのか?聞かざるをえない言葉なのであれば、その言葉は親にかまってもらえるワードとしてインプットされているのではないか?女の子は便器をわけないからそもそも聞く必要ないもんな……
我が家は姉妹のため母親に確認ができない。機会があれば伯母さんにでも聞いてみることとする。

 


②枕元のティッシュ
これは男女の差というよりかは、完全に生育環境と摂取している創作物の差に表れるのではないかと思う。
大学のとき、「布団に入りながら漫画を読んでいて、枕もとにティッシュが並んだ」という話題を同じサークルの男性の友人にしたところ、「エロいな」と返されたことがあり、大変なカルチャーショックを受けたことがある。

小さなころから鼻炎持ちだった私は、いつも鼻水をかんだティッシュが枕元に並んでおり、私にとって「枕元のティッシュ」というのは、鼻水を嚙んだものか涙を拭いたものの意味であった。
しかしながら男性の友人からすると、「枕元のティッシュ」というのはマスターベーションを想起させるものであったらしい。


確かにそう考えられてもおかしくないのである。創作物の中でそういった描写は何度か目にしたことがあるし、
逆に私のイメージは鼻炎持ちにしか伝わらないものである。おそらく私の方が少数派なのではないかということに気づき、この差は大変面白いぞと思った。

 


③敷布団についた血
これも②とよく似ているのだが、少しニュアンスは異なる。
サークルで合宿に行ったとき、男性の先輩と部屋で話していた時に敷布団についていた血に同級生が気付いた。
(私が所属していたサークルは24時間練習、練習の隙間に寝るというものだったので常時布団は敷いたままである)
血がついてるーと反応した同級生に対し、男性の先輩は
「まあ誰かが激しくしたんやろ」と返答しており、当時1回生だった私は大変な衝撃を受けた。

女性ならわかると思うが、「敷布団に血が付く」というのはかなりの確率で経血を意味している。
もしくは誰かの鼻血である。
確かに男性の口から「経血でしょ」なんて言葉を耳にする方が不快に感じる女性は多いのかもしれないし、そう思ってとっさに出た答えがあのようなものだったのかもしれない。
ただ私だったら、「鼻血かなー」と軽く答えていたとは思う。

 


④性器の大きさについて
最近不思議だなーと思ったことの第一位である。
男女にはそれぞれ性器・生殖器というものがついていることが多いわけだが、なぜだかその大きさを競うという文化が男性にはあるらしい。女性の胸については、女性自身も気にする人もいるが、特に男性側に気にする人が多いように思う。
女性としては、大きすぎると下着や服を探すのが大変で高価になってしまったり、肩が凝ったり、勝手にエロい人間だと思われたりして不快・不便なことの方がよっぽど多いように思うわけだが……。
強調しておくが、すべての人間がここにあてはまるというわけではない。
(個人的には自分でどうにかできるものではないものを競ってもどうにもならないと思っているので、性器の大きさについては自分にも男性側にも興味がない)

 

非常に不思議だと思ったのは、「男性の性器が大きいほど男性の能力が高い、女にモテる」という考えが一定の男性に存在することである。
モテる男の人を見て、「まああいつチンチンでかそうやもんな」と話す男性の先輩を見たことがあり、はて?と首をかしげることがあった。この認識は一体どこから来ているのだろうか。
好みのタイプで男性側が「胸の大きな人」と答えることがあっても、女性側が「チンチンの大きな人」と答えているのは見たことがない。いやいやいや直接的にそんなこと答えるわけないじゃん、と思われると思うが。いや本当にそうなのか?

 

いったん女性側が考えるタイプの話はおいておいて、問題は「女性側がそんなことを言っていないのに、なぜか一部の男性の中では『性器が大きい=モテる』という法的式ができあがっている」という点である。これは非常に興味深い命題である。

 

「大きい=気持ちよくさせることができる」という認識が一定層にありそうなのだが、「気持ちの良いセックスの方法」について調べてみても、どこにも物体的なことは書いておらず、手順や精神的に満たすための方法ばかり書いているかと思う。
実際のところ、大きすぎると女性側は苦しい。

これはAVや青年誌などの影響なのだろうか?それとも征服欲や受け入れてほしいという欲求なのだろうか?
それとも、女性に対して胸が大きい方が魅力があると思っているから、それと同じようなものとして性器の大きさを誇るのだろうか。

 

強調しておくが、これは男性への批判ではない。純粋な疑問である。良し悪しを論じるつもりは全くない。
このへんに関して関連書籍を知っている方がいれば教えてください。

 


①~④について語ってみたが、一人で考えるには限界である。
多くの女性・男性陣と会話しなければ見えてこなさそうだ。女性側はいいとして、こんな話に付き合ってくれる男性の友人は果たしているのか疑問である。