PUNKSPRING2023

MY CHEMICAL ROMANCE

それまでシンガーソングライターとかユニットとか、そういった枠組みを考えたことがなかった私が、初めて「バンド」を意識して好きになったアーティストである。マイケミがいなかったらバンドというものにハマっていなかったかもしれないし、実際にバンドをしていなかったかもしれない。

 

小学校3年生くらいのとき、FM802でよく流れていたのがマイケミの"Welcome to the Black Parade"だった。
その際は好きな曲の1つ、という認識だったが、中学生になり"Black Parade"のアルバムを聞くようになってから、どハマリするようになる。youtubeで何度も何度も"Welcome To The Black Parade"や"Helena"や"Famous Last Word"をリピートし、他に同じようなバンドがないか探しては落胆し、そのゴシック感とボーカルのジェラルドの泣き出しそうな声の唯一無二性にとりこになった。当時死に近い生活を送っていた私にとって、彼らは私のヒーローに他ならなかった。「大学に入ったら絶対お金をためて、アメリカまでライブを見に行くのだ」と決めていた。


マイケミが活動を休止したのは、私が大学に入る直前の、高校3年生のときだった。


大学に入ってマイケミコピーバンドをしたり、マイケミが好きな友人もできたが、人生における夢の1つが失われ、大きな悔いとなって心の中に残っていた。

 

それが、である。

大学卒業後2年目に再結成、来日公演の決定、そこからコロナ禍での延期、またそこから2年後の2023年3月26日。PUNKSPRING2023。
ついに私は夢を叶えることができたのだ。

 


前置きが非常に長くなったが、これはPUNKSPRING2023のレポートである。

マイケミだけでなく、Simple planBad Religionのレポも含まれる。
日本のバンドも出ていたが、最後まで体力をもたせられる自信がなかったため、SimplePlanからの参戦とした。

 

会場につくと、海外からのお客さんが多いことに驚いた。少なく見積もっても3割はいる。
しかも、赤髪で全身真っ黒のエモガールがたくさんいた!バンドのボーカルか、海外のフェスの映像でしか見たことのない、古のエモガールである。マイケミ関係でいろんなエモバンドを聞いていた私としては、そこに興奮せずにはいられなかった。残念ながら前髪を流した目隠れエモボーイは絶滅してしまっていたが、黒革ジャンの正装に身を包んだ人は数え切れないほどいた。みんなだいたい30代前後に見え、同世代である。英語圏だけでなく、韓国・ベトナム・その他の東南アジア系の人々が多く来場し、同じくらいの年の人間が、マイケミを見るために世界中から集まっていた。

すでに感無量である。この日を待っていたのは私だけではなかったのだ。


日本勢最後のフォーリミが出番を終えると、仕切り直しといった形で802のDJのMCが始まった。
Simple Planを見るために、自分が割り当てられたブロックに向かった。私のブロックはB3で、前から2番目で真ん中のブロックだった。これならよく見える、と思ったが、前で座っていた観客が立った瞬間ステージの上が見えなくなった。
日本人の平均身長より随分と高い……。
なぜかB3ブロックは半分が外国人だった。日本語よりも別の言語のほうが聞こえる。
身長については仕方がない、音が聞ければ十分かなーと思っていたときだった。

 

"Do you have the time to listen to me whine
About NOTHING and EVERYTHING all at once"


突然場内にGREEN DAYのBasket Caseが流れ始めた。

瞬間、大歓声からの大合唱である。
ポップ・パンクの代表曲、パンクをメジャーにさせた筆頭。もちろん私も歌える。
一瞬で場内がパンクキッズで溢れかえった。


続いて、
THE OFFSPRING "The Kids Aren't Alright"
・Panic At The Disco "I Wrote Sins Not Tragedies"
Fall Out Boy "Sugar,We're Goin Down"


こんなものを聞かされて正気でいられるパンクキッズはいない。
気がついたら360度外国人の中で、一緒に英語でシンガロングしていた。
(周囲はネイティブだったので、なんちゃって英語ではないちゃんとした歌詞を歌っていて感動した)

GREEN DAY以外の3曲だが、この曲たちは私が中学校のときに読んだ「マイケミ好きにおすすめするバンド」の記事で紹介されていた記事のラインナップそのままだった。残念ながら当時の自分が求めていたようなものではなかったのだが、確かに当時聞いていたのだ。
FOBなんかは後々ドハマりしてコピーもしている。間違いなく名曲ぞろいである。
マイケミが始まる前から感動することが多すぎて、この時点ですでに泣きそうだった。

 

Simple Plan

Simple Planは特別好きだというバンドではない。しかし、パンク・エモを嗜んでいる人間であればどこかで必ず聞くことになるバンドである。嗜んでいなくても、この曲どこかで聞いたことある〜となるのがSimple Planである。

覚えている限りのセトリが↓


Shut up
Jump
Jet Lag
Welcome to my life
Summer Paradise
Sk8ter boy(アヴリルラヴィーンのカバー)

最後の2曲↓
I'm just a Kid
Perfect

ただ最高の一言だった。これぞポップ・パンク。キャッチーで乗りやすい。
最後の2曲連続でくるのは涙腺に優しくなかった。ひたすらに楽しかった。
アヴリル以外にもカバーをしていた曲があったと思うのだが、ちょっとわからなかったので割愛する。

MCで「Japanese Jokeをするぜ」と言ってからの「こーーんにーーちはーー!!」は落差が激しすぎてついていけなくて申し訳なかった。Simple Planと錦鯉が同じ世界線に存在することをなかなか認識できなくて……。


Bad Religion

大御所バンド。お恥ずかしながら、名前こそ聞いたことがあるがほとんど知らないバンドだったため、ライブ直前になって調べた。

なんとEpitaph Recordsの設立者だった。

お世話になりすぎていて頭が上がらない。OFFSPRING,NOFX,New Found Glory,Saosin,BMTH,Sleeping With Sirens,挙げ始めるときりがない。我々のようなパンク・エモ・ポストハードコア大好き人間はEpitaph Records,Rise Records,Fearless Recordsには足を向けて眠れないのだ。感謝してもしきれないほどの恩がある。

実際に生で聞いてみて、メロディアスなメロディラインに、私の好きなバンドに通ずるハードロック・パンク・ハードコア要素が感じられて、大変価値のあるライブだった。もう1980年から活動しているバンドのため、皆ほぼおじいちゃんだが、最高にクールだった。

 


そしてマイケミである。

 

MY CHEMICAL ROMANCE

転換が終わり、そろそろ始まるのではないかという雰囲気になった瞬間、隣にいた眉毛のないアジア系の女の子が泣き崩れた。
気持ちが溢れてしまった女の子を周囲の人間で慰め、「俺もこの日を待ってたんだよ、bro」と周囲の観客がそれぞれにグータッチをしあっているのを横で見ていて私も泣きそうになった。

メンバーが登場し、ついにフロントマンが現れた。
メンバーは驚くほど老けておらず、再結成時には長年の憧れが吹っ飛ぶくらいの中年太りをしていたジェラルドは、かつてに近い痩せた姿で現れた。
女性用のスカートスーツを着て、右顔面には爪痕のようなペイントを施し、ゾンビのような真っ白いカラーコンタクトをつけて、ステージ横の巨大なスクリーンにその姿が映し出された。

1曲目は再結成してからリリースされた"The Foundations Decay"。

興奮のために後ろから人が殺到し、押しつぶされそうになりながら、必死に背伸びをしてステージを見ようとした。
周囲のシンガロングの声が大きすぎて歌があまり聞こえず、どうしたものかと困っていると、斜め前にいた肌の白い海外から来たであろう女の人が場所を入れ替えてくれた。

そこでようやく前が開け、演奏を鮮明に聞くことができた。
初めて聞く生のジェラルドの声は、ずっと聞いていた憧れのヒーローの声そのものであった。

 

"Na Na Na","Thank you for the Venom","Boy Devision"と続き、
"I'm Not Okay"のイントロが流れた瞬間、こらえきれずに泣いてしまった。

youtu.be


コピーもした、Black paradeの次に好きな曲である。
ドラマティックな曲展開が大好きで、ラスサビの前の"Trust me"でもう一度泣いてしまった。


そこから数曲続き、数百回数千回と聞いたピアノのイントロが聞こえた。

 

youtu.be

その瞬間、死にたいと思っていたこととか、死のうと思ったタイミングのこととか、立ち直って人の愛を受け止められるようになったこととか、なんだかもういろんなものが報われた気がして、あふれる涙をこらえることができなかった。

"When I was a young boy.My father took me into the city to see a marching band"

周囲をちらっと見渡すとみんな泣いていた。
マーチングのドラムに合わせて、まずは一周一緒に歌い、ギターのリフが始まると、再度自分の心が揺さぶられるのを感じた。
静かなピアノ→マーチングのドラムに合わせる歌→泣きのギター→同じ歌詞で2周目をシンガロング→マーチングの終わりからテンポアップ→Aメロと繋がり、観客のテンションも最高潮で、シンガロングパートではない部分までずっと歌っていた。

それでもちゃんと私の耳にジェラルドの声は届いていて、憧れのボーカルとマイケミの演奏で歌えていることへの喜びでどうにかなりそうだった。

"I’m just a man, I’m not a hero
Just a boy, who had to sing this song
I’m just a man, I’m not a hero
I don’t care"


この曲で一番好きな1節である。
この1節を、1000人規模の人数で集まって歌えたことで、くすぶっていた自分の中の悔いが成仏したのを感じた。
死ぬことばかり考えていた自分が、ここまで生き続け、自分を支えてきた曲の一部となり誰かの思い出の1つになれたこと。こんなに嬉しいことはなかった。

 

この後も好きな曲が続いたのだが、もう最高以外の語彙が出てこないので、セットリストだけ記載してほかは割愛することにする。


The Foundation Of Decay
Na Na Na
Thank You For The Venom
Boy Division
I'm Not Okay(I Promise)
The Ghost of You
Bury Me In The Black
It's Not a Fasion Statement,it's a Deathwish
You Know What They Do To Guys Like Us In Prison
Welcome To The Black Parade
This Is How I Disappear
Everyone Hates The Eagles
The World Is Ugly
Give 'Em Hell,Kid
Teenagers
Mama
Helena
Famous Last Words
Sleep
Vampires Will Never Hurt You

 

最後までジェラルドはメッセージっぽい言葉を発することなく、終始「おえええええ」という本気で吐くような声だけ出していて、観客が戸惑っていた。
マイケミは日本が大好きだそうなのだが、ちゃんと日本を楽しんで帰れただろうか。
終演後、席をゆずってくれたお姉さんにもう一度お礼を言おうと思ったが、すでに姿はなかった。

 

 


婚姻届を出す2日前にこのライブが行われたことが、自分にとって大きな意味があるものだったように思う。
心の引っかかり、諦めていた1つの夢を果たすことができた。新しい人生のスタートを気持ちよく切れたと思う。
"Black Parade"のアルバムは、死をテーマに ”生きる意味” を描いたコンセプトアルバムである。
"Black Parade"を聞いて、死を四六時中意識していた自分が、今では生きることを意識しないほど生を楽しんでいる。とんでもない成長に笑ってしまう。
この日のことは誰かの記憶に残り続けるだろうし、私もこの日の思い出を胸に生き続けていくだろう。
死ぬ間際に今日のことを思い出すかはわからないが、お迎えの音楽はどうかBlack Paradeであってほしい。

ありがとうMY CHEMICAL ROMANCE

 

近況:性について

最近はよくコテンラジオというポッドキャストを聞いている。
歴史について語るラジオなのだが、これがなかなかすごい。
語るのは専門家ではない一般人数人であり、この数人でテーマについて参考文献を数十冊読んだ上でラジオをするというものである。実際に読んだ参考文献をページでまとめてくれているのがありがたい。

参考文献リスト:https://www.valuebooks.jp/shelf-items/list/aWZpYU96cURDSkh6TE1IeDl4WldiUT09

語り調も「この本では〜と言っている」「この人は〜と言っている」とか、あくまで引用であるという
ところも配慮がされている。

性の歴史について語っているのを聞いているのだが、かなり長くてまだ最後まで聞けていない。
非常におすすめなので、気になる方は聞いてみてほしい。Spotify,Apple podcast,youtubeで視聴可能だ。どこのエピソードから聞いても面白いと思う。気になるところから聞くのもありだ。

#210 [PG-18] 性の歴史 ー人類が紡いだ愛とセックスの物語ー【COTEN RADIO】 - 歴史を面白く学ぶコテンラジオ (COTEN RADIO) | Podcast on Spotify

 

youtu.be


少し前に、巨乳というものをエロく感じるのは人間の本能的なものなのか、それとも「巨乳=エロい」という社会通念を学習してエロいと感じるのか、どっちなのかと気になって周囲に聞いて変な顔をされたことがある。
まあおそらくはどちらもあるのだと思う。人による、が正解だと思う。

しかし不思議なのである。私自身普段から何かに対してエロいという感覚を持つことがないため特にそう感じるのかもしれない。
コテンラジオでも話されていたのだが、今現在の社会一般的な性的な感覚というのは、明治以降に明治維新の中で諸外国と同等と渡り合うためにキリスト教的価値観を日本に浸透させた結果生まれたものである。野蛮と思われないようにするため、とも言えるだろう。
そもそも日本の着物という文化において、胸はよく見えるものであるし(ジブリ作品を見るとよくわかる)、混浴の文化もあった中で、本当に胸というものが性的欲求をくすぐるエロいものと捉えられていたのだろうか、という疑問がある。

 


私の性的感覚に対する疑問の根底にあるのは、昔twitterで見たとある人物の話である。
その方は、性的なものに対して母親から強い抑圧をされて育てられ、その結果一般的に性的とよばれるものを見ると吐き気を催すようになったらしい。そして虫の交尾にしか性的興奮を感じなくなってしまい、普通とは違う自分の感覚に今も苦しんでいるとのことである。
一般的な性的感覚を持てないというのは大きな苦しみであるというふうに思う。誰もが例外なく感じるとされている性欲というものについて、誰ともわかりあえないのだ。
生理的な反応に対しては人は無力である。自分ではどうすることもできない。

 

似たような話は、ジャンプ+で掲載されていたROUTE ENDという漫画でも描かれている。
特殊清掃の現場でしか性的興奮を得られない心に傷を負った男とその彼女が描かれており、
見ていて非常に辛いものがある。1ページ目から自殺描写があるため苦手な方は読まないでほしい。
人の傷つきを強く感じられるミステリー作品である。

[1話]ROUTE END - 中川海二 | 少年ジャンプ+


エロさの共通認識というのは結構大事で、それによって生まれるコミュニケーションや関係性もあるだろう。
その共通認識を得られない、感じられないことはかなりの疎外感を生むと考えられる。特に男性では。


コテンラジオを聞いて性の歴史を知る中で、やはり性的な感覚というのは本能で決まっているものではなく経験(特にキリスト教的価値観)によって作られたものであるというふうに感じる。
歴史の勉強をしていると、やっぱキリスト教がだめなんじゃねえかという気持ちになるのでそこはバランスをとらなきゃいけない。とにかく侵略、価値観の押しつけの歴史なので……。

でも歴史を知ることによって、性的な価値観というのはその連続性の中で生まれているものにすぎない、という事実は少なくない誰かにとって、希望になるものなのではないだろうか。

理由なく決まっているものではない、はずだ。そう思いたい。

 

最近はそんなことばかり考えている。

男女の認識の差

私は現在異性と同棲をしている。自分の家庭が男1女3の家族構成であったこともあり、男女の物事への認識の差に日々驚かされている。
大学のサークル内でも同じような驚きを感じたことがあったことを思い出し、非常に面白い気づきだと思ったため今回書いてみようと思った。以下は4つの例である。不思議なことにすべて下の話である。少しでも苦手な人は見ないことを推奨する。

 

先に伝えておくが、どちらの認識が間違っているとか、悪いとか、そういったことを論じるつもりは全くない。物事のとらえ方は自分の生きてきた経験から育まれるものであり、そこに優劣をつけることはその人の人生を否定することにつながるからである。

フラットに、純粋な疑問をもって読んでほしい。

 

 

①トイレの大小
周囲の男の人いわく、トイレに向かうとき、今から出すのが尿なのか便なのか、明確に意識するものらしい。
そりゃあ男性は便器自体が分かれているので意識せざるをえないのだと思う。

女性の私としては、便意をもよおしたときは間違いなく便だとわかるのだが、たいていの場合は尿意を感じてトイレに行った後、ついでに出そうなら便も出す、ということがほとんどである。
さいころに初めて男の人の小便器を見たとき、「おしっこしてるときにうんちしたくなったらどうするんだろう……」と本当に真剣に考えていた。ちなみにこれは今でも考えている。自分で考えても永遠に答えが出るはずがないのだが。

 

もしかして男の子のほうが幼少期に「うんこ」という言葉を使うことが多いのは、トイレトレーニングで親が大なのか小なのか聞いているからなのか?聞かざるをえない言葉なのであれば、その言葉は親にかまってもらえるワードとしてインプットされているのではないか?女の子は便器をわけないからそもそも聞く必要ないもんな……
我が家は姉妹のため母親に確認ができない。機会があれば伯母さんにでも聞いてみることとする。

 


②枕元のティッシュ
これは男女の差というよりかは、完全に生育環境と摂取している創作物の差に表れるのではないかと思う。
大学のとき、「布団に入りながら漫画を読んでいて、枕もとにティッシュが並んだ」という話題を同じサークルの男性の友人にしたところ、「エロいな」と返されたことがあり、大変なカルチャーショックを受けたことがある。

小さなころから鼻炎持ちだった私は、いつも鼻水をかんだティッシュが枕元に並んでおり、私にとって「枕元のティッシュ」というのは、鼻水を嚙んだものか涙を拭いたものの意味であった。
しかしながら男性の友人からすると、「枕元のティッシュ」というのはマスターベーションを想起させるものであったらしい。


確かにそう考えられてもおかしくないのである。創作物の中でそういった描写は何度か目にしたことがあるし、
逆に私のイメージは鼻炎持ちにしか伝わらないものである。おそらく私の方が少数派なのではないかということに気づき、この差は大変面白いぞと思った。

 


③敷布団についた血
これも②とよく似ているのだが、少しニュアンスは異なる。
サークルで合宿に行ったとき、男性の先輩と部屋で話していた時に敷布団についていた血に同級生が気付いた。
(私が所属していたサークルは24時間練習、練習の隙間に寝るというものだったので常時布団は敷いたままである)
血がついてるーと反応した同級生に対し、男性の先輩は
「まあ誰かが激しくしたんやろ」と返答しており、当時1回生だった私は大変な衝撃を受けた。

女性ならわかると思うが、「敷布団に血が付く」というのはかなりの確率で経血を意味している。
もしくは誰かの鼻血である。
確かに男性の口から「経血でしょ」なんて言葉を耳にする方が不快に感じる女性は多いのかもしれないし、そう思ってとっさに出た答えがあのようなものだったのかもしれない。
ただ私だったら、「鼻血かなー」と軽く答えていたとは思う。

 


④性器の大きさについて
最近不思議だなーと思ったことの第一位である。
男女にはそれぞれ性器・生殖器というものがついていることが多いわけだが、なぜだかその大きさを競うという文化が男性にはあるらしい。女性の胸については、女性自身も気にする人もいるが、特に男性側に気にする人が多いように思う。
女性としては、大きすぎると下着や服を探すのが大変で高価になってしまったり、肩が凝ったり、勝手にエロい人間だと思われたりして不快・不便なことの方がよっぽど多いように思うわけだが……。
強調しておくが、すべての人間がここにあてはまるというわけではない。
(個人的には自分でどうにかできるものではないものを競ってもどうにもならないと思っているので、性器の大きさについては自分にも男性側にも興味がない)

 

非常に不思議だと思ったのは、「男性の性器が大きいほど男性の能力が高い、女にモテる」という考えが一定の男性に存在することである。
モテる男の人を見て、「まああいつチンチンでかそうやもんな」と話す男性の先輩を見たことがあり、はて?と首をかしげることがあった。この認識は一体どこから来ているのだろうか。
好みのタイプで男性側が「胸の大きな人」と答えることがあっても、女性側が「チンチンの大きな人」と答えているのは見たことがない。いやいやいや直接的にそんなこと答えるわけないじゃん、と思われると思うが。いや本当にそうなのか?

 

いったん女性側が考えるタイプの話はおいておいて、問題は「女性側がそんなことを言っていないのに、なぜか一部の男性の中では『性器が大きい=モテる』という法的式ができあがっている」という点である。これは非常に興味深い命題である。

 

「大きい=気持ちよくさせることができる」という認識が一定層にありそうなのだが、「気持ちの良いセックスの方法」について調べてみても、どこにも物体的なことは書いておらず、手順や精神的に満たすための方法ばかり書いているかと思う。
実際のところ、大きすぎると女性側は苦しい。

これはAVや青年誌などの影響なのだろうか?それとも征服欲や受け入れてほしいという欲求なのだろうか?
それとも、女性に対して胸が大きい方が魅力があると思っているから、それと同じようなものとして性器の大きさを誇るのだろうか。

 

強調しておくが、これは男性への批判ではない。純粋な疑問である。良し悪しを論じるつもりは全くない。
このへんに関して関連書籍を知っている方がいれば教えてください。

 


①~④について語ってみたが、一人で考えるには限界である。
多くの女性・男性陣と会話しなければ見えてこなさそうだ。女性側はいいとして、こんな話に付き合ってくれる男性の友人は果たしているのか疑問である。

ARASHI 5×20FILM

11月21日。ARASHI 5×20FILMを見に行った。


嵐という存在について、書こうと思い、何度も文章を書いてみたのだが全然まとまらず、どうしたものかと考えていた。
自分にとって一番のアイドルであり、恩人であり、私が死なずにいられた道しるべである。アイドルという存在がどれほどのものなのか、知らしめてくれたアーティストでもある。
感謝の気持ちが大きすぎて、まとめようにもまとめられない。

追いかけていたのは中2から高校2年生くらいまでのためそこまで長いファン歴とは言えないが、今でも自分にとって確かに大きな存在なのである。
だから、活動休止のお知らせを聞いたときは茫然としたのだった。

そんな嵐の20周年記念ライブが映画館で放映された。Directed by 松本潤という箔付きで。

以下は映像を見た感想となる。もしネタバレが嫌だという方は見ない方がよい。
(すでにDVDで販売されているものなので、ファンはすでに内容をご存じだと思うが)
まあ内容を知ったところで何ら問題はない。文章を読むだけでは塵ほどにも映像の良さに及ばない。
さすが嵐、さすが演出家松本潤と言う他ない。
ドルビーシネマという音響が360度から聞こえてくる映画館で鑑賞したのだが、これがすごかった。ライブ会場に自分がいると錯覚してしまう。
自分も歓声に包まれている中で、ライブはスタートした。

 


以下、元嵐オタクの感情発露↓

 


松潤が手に持ったカメラの映像が会場のモニターに映し出され、嵐がみている風景が観客に共有されるところからライブがスタートした。
5人でいるというだけで感動してしまう。この時点で隣に座っていたお姉さんは泣いていた。
嵐ファンならわかると思うが、個人でメディア露出しているときと5人でいるときの表情は全く違うのである。
翔くんはキャスターや司会者のときのおりこうさんな表情ではなく、眉尻を下げて笑い、全力で飛び跳ね手を振りまくる。
ニノは毒舌なのは変わらないが、嵐の前でしか見られないかまってちゃんで末っ子らしい甘えん坊な一面を見せる。
松潤に関してはそもそも単体で見る機会の方が少ないため比較できないが、いじられた後の相葉ちゃんのツッコミがみられるのは嵐でいるときだけだし、
リーダーはとにかくふにゃふにゃする。
ここ1年ずっと見れていなかった表情が疑似ライブ会場で見られるのだ。この時点でオタクは泣く。

(この調子でいくとまとまらないので、印象に残った部分を記載していく)

 

今回の映像では相葉ちゃんの悪人顔が見れると噂を聞いていた。
I'll be thereの前だったと思うが、相葉ちゃんが影を操ってほかのメンバーを消していくという映像が流れる。
相葉ちゃんはそのキャラクターゆえに悪い役を演じることがない(過去にあったら申し訳ない)。
他のメンバーはダークな役柄を演じたことがあるため、悪い顔を見たことがあるが、相葉ちゃんだけは本当にない。
それが、モノクロの映像で、スーツで、わざとらしい表情でもなく、スタイル抜群の満点の仕草である。
これ見れただけでも3800円払う価値があるな…と嵐の中で一番最初に相葉ちゃんを好きになった私は序盤でしみじみと感じ入ってしまった。

 

周年の記念講演のため、アルバム曲やカップリング曲が少なく、ほとんどの曲が1番のみの演奏となっている中、
唐突に「果てない空」のサビをニノがソロで歌い始めた。
全く予想していなかった展開にびっくりしてしまって感情が追い付かず、打ち震えてしまった。
世間的にはあまり知られていないが、ニノは馬鹿みたいに歌が上手い。
リーダーは発声がきれいで全くぶれないうまさがあるのだが、ニノのうまさは感情表現である。
公式のジャにのちゃんねるで該当部分を見られるのでURLを貼っておく。(該当部分は6:18から)

www.youtube.com

 

一番好きな男性歌手はだれかと聞かれたら二宮和也と答えるかもしれないほど私はこの声が好きである。
本当に極まれに自分のラジオでほかのアーティストのカバーをすることがあり、頼むから事前告知、音源化してくれと思っている。
音源化は彼のスタンス的に絶対にしないと思われるのが悩ましい。嵐としてしかCDは出さないだろう……。
彼は本当に作曲センスも神なので作曲してくれると嬉しいのだが絶対にしないだろうな……。

 


果てない空の後に始まったのが櫻井翔によるピアノコンサートである。
5万2000人の前で10分以上ピアノを弾くのである。たまげてしまって、アオゾラペダルを演奏し終えた後の、安心したような恥ずかしいような
アイドルらしからぬ表情で「ありがとうございました」と言ったときには、「何年アイドルしてるんだよ……」と友人と突っ込んでしまった。
とても良かった。

 

個人的には一番テンションが上がったのは「Believe」である。
この曲の韻を踏みまくるラップパートが大好きなのだが、ラップパートに入る前の2番のサビ終わりでいったん客席とステージの間に
薄いカーテンが降りる。カメラのアングルは、カーテンで隠れたステージ側から客席の方向を映している。
「頭上に悠然とはためく~」の部分で櫻井翔がカーテンの間から大きく前に踏み出し、客席の前に現れる。
悠々と客席に向かっていく櫻井翔の後ろ姿と客席のライトをカメラがとらえ、嵐がみている風景を観客は体感する。
この部分に一番心が揺れた。
「Believe」のリリックについては、ラッパーの晋平太も「超HipHopじゃん」と自身のチャンネルで話しており、呂布カルマ櫻井翔のことを
「ラッパーとして仲間だと思っている」と生放送でコメントしているほど、ラッパーの中でも一定の評価を得ている。
私は嵐を好きになるまでラップが嫌いだった。当時メジャーだったラップがラブソングばっかりだったことが大きな理由だと思う。
そんな私の価値観を変えてくれたのが櫻井翔という存在である。
嵐には全編Rap詞の曲が数曲存在するが、櫻井翔のソロ曲であるHipPopBoogieが最もHipHop感が強い。
こちらは残念ながら公式の動画はないが、各サブスクで配信されているのでぜひ聞いてほしい。
アイドルでありラッパーであるという櫻井翔の在り方が強いメッセージ性をもって表現されている。
「温室の雑草がマイク持つRapSong」というリリックが最も象徴的である。

open.spotify.com


そのあと、松本潤がコンダクターとなりオーケストラを指揮する。嵐メドレーをオーケストラが演奏した後、そのままてっきり美しい曲が
始まるのかと思いきや、始まったのはバッチバチの全編Rap詞の「COOL&SOUL」であり、ここでも鳥肌が立ち私はぶったまげた。
まだまだ知名度が高くなかった時期、アジアツアーをやったときに引っ提げて出たHipなPopタイトルである。
ジャジーなとにかくおしゃれなサウンドに、ラストに向かってぶちあがっていく5人のラップは何度聞いても鳥肌ものである。
ちなみに私は何千回練習しても「嵐探し当たり騒がしいそのすさまじい騒ぎまさに嵐」の部分が言えない。
一番のパンチラインが言えない。悲しい。

open.spotify.com

 

同じ全編Rap詞の曲には「Re(mark)able」もあるのだが、イントロを聞くだけで「ギターの音作り~~~!!」とテンションがあがってしまう。
曲展開がすさまじい。サブスク配信されて本当にうれしい。
他にもあるのだが、とにかく嵐のラップ曲はすべてにおいてはずれがない。櫻井翔のリリックはサンプリング元があるものも
あるようなのだが、いかんせん私はほとんどHipHopに精通していないので全くわからない。何かわかるものがあればぜひとも教えていただきたい。
ちなみに「きっと大丈夫」という曲の作曲者はかのSOUL'D OUTのトラックマスターshinnosukeである。
櫻井翔のリリックについては語りだすと止まらないのでこのへんでやめておく。


この後からは怒涛のメドレー、終わりに向かっていく。ジャニーズJr.が過去の嵐のライブ衣装を着て一緒に踊っているのが感慨深かった。
映画の尺の都合でアンコールはカットされていた。ピカダブが聞けなかったことだけが心残りである……
エンドロールが「Love so sweet」と「Happiness」なのは本当に良かった、良かったという言葉以外に見つからない。
HappinessのMVなんて何回見たかわからない。嵐の良さが凝縮されているといっても過言ではないMVである。
とにかく仲のいい人間たちが楽しそうにしているという事実が、死にそうだった私の心を癒してくれたのである。

 


追いかけていなかった10年など気にすることなく、最後まで楽しむことができた。感謝の気持ちでいっぱいである。
アイドルでいてくれてありがとうという気持ちがあふれ出てきた。
活動休止後、心のおさまりが悪かったのだが、少し落ち着いた気がする。
とりあえず、見ていなかった2012年以降のDVDを購入することを検討しようと思った。

差別

差別というものについて、ここ最近ずっと考えている。
なぜ差別はあるのか、なぜ自分は差別について考えているのか、なぜ差別というものについて自分はここまで敏感なのか。そもそもなぜ差別はだめなのか。

私が特に問題視するのは、たとえば「障害者は生きている意味がない」と考えている人物がいたとして、その人物はもし自分が障害者になったら自殺するよと断言している。自分が誰かや国のお荷物になるくらいなら迷惑かけずに喜んで死にますよ、というような主張である。
そこには、自分の命はどうでもいいという一種の厭世感と、もしも自分がそうなったら自殺するんだからこういうことを言ってもいいでしょ、という考えがあるように感じる。障害を持つのは仕方がないことだと言っておきながら、自分が偶然そうではないことを棚に上げて、自分が相手を見下していることにも気がついていない。
見下せる立場にいるということ自体の加害性を全く理解していない。

 

差別という言葉を辞書で引いてみると、以下のように記載されている。

    1 あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の差別を明らかにする」

    2 取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%B7%AE%E5%88%A5_%28%E3%81%95%E3%81%B9%E3%81%A4%29/

多くの場合、2の「他よりも不当に低く取り扱うこと」の意味で用いられるかと思う。
この「不当に低く取り扱う」という部分の認識が個人によって大きく異なるため、非常に難しい問題となっていると思う。


差別についていろんな記事を見てみたが、納得の行く答えは見つからない。
これは倫理学が積み上げてきた命題の1つだと思うが、「なぜ人を殺してはいけないのか」という子供からの質問に知識人の大人たちが答えられなかったというテレビ番組での出来事があるように、説明しきることが困難な命題である。
個人的には、納得できる理由が人それぞれ大きく異なるため、真理として語るのが難しいと考えている。
多くの人間は人が不当に扱われていると感じると、その共感性から嫌悪感を覚えると思うが、共感ができない人、そもそも他人が不当に扱われることと自分自身を地続きに考えられない、
自分が不当に扱われる可能性を疑わない人間からすれば、周囲の言葉や積み上げた歴史は説得材料になりえない。
また、自分が長い間不当に扱われてきた経験から、そんなことは当たり前なのだから気にするほうがおかしい、諦めるしかないと主張する人間もいれば、なんで自分よりもあいつが良く扱われるのだと、同じく差別を受けている人間に対してその差別の程度の差異について憤る人間もいる。

 


私自身の考えを一旦まとめておきたい。
私の思う差別問題(被差別の苦しみ)とは、「個人として扱われない」ことだ。
何をしても親やステータスのせいにされる。それは、「お姉ちゃんだから我慢できるでしょ」とか「男なんだから泣くな」といったようなありふれた「価値観の押し付け」とほぼ同義だと感じている。自分の意思を無視され、勝手に権力ある誰かや文化の価値観に押し込められるということだ。差別とは、社会的な意味で言うと、マジョリティという権力に価値観を押し付けられていることそのものなのではないか。
相手よりも自分(自分たち)が圧倒的に権力を持っているからこそできることでなのではないか。

出口真紀子さんが以下の文章で、差別におけるこのような特権を「マジョリティ性を多く持つ社会集団にいることで、労なくして得ることのできる優位性」と述べている。


https://co-coco.jp/series/study/makiko_deguchi/


私自身が差別について敏感なのは、自分がある部分でマイノリティであることを強く自覚していたからだと思う。
家のことで仲間はずれにされたり、一般的に見て学力が高い方だったこと、自分の性別に対して嫌悪感を抱いていたことなどである。
多くの人間から自分自身を勝手に定義されることの苦しみは、常にマジョリティであり続けている人間には本当の意味で理解できる機会はない。
自分が加害者であることを認めるのは非常に難しく、なおかつ苦しみを伴う。しかし自分の加害性に目を向けることが最も大切なことであると感じている。

 

 

加害性の自覚というのが多くの人間に足りていないものではないかとずっと私は思っている。
自分は差別をしないとか、中立だと思っているとか主張すつ人間もいるが、人間はどうしても自分の思い込みの中で生きるしかないことを自覚しなければならない。
だからこそ指摘されたときに、その言葉を咀嚼する余裕を残しておきたい。
咀嚼するための余裕がない人間がいることも確かだ。そしてその人数は年々貧困化によって増加しているのではないかと懸念している。
上から「差別はだめだ」と押し付けるのではなく、なんとか自発的にそう思えるような環境を作っていきたい。
ただそれには全く勉強が足りていない。自分の子供にちゃんと教えられるだろうか。全く自身がないのが現状だ。
私としては、自分自身が大切にされる経験が人を大切に扱うことに繋がると信じているが、果たしてちゃんとそうなるのだろうか。とても不安である。

 

 

 

哲学は少しだけかじっているが、倫理学については高校の倫理レベルの知識しかほとんどないため、もしおすすめの書籍がある方はぜひ教えてください。

一通り書いてみたが、考えが全くまとまっていないので、また勉強して書かなきゃいけないかもしれませんね。

努力する人・努力できない人

生活保護受給者やホームレスを不要なものと発言し炎上したDaiGo氏の件があり、思うところも多く筆を取ることにした。
DaiGo氏については元々思うところが非常に多いが、今回は人命軽視や能力主義の観点から
自分が思うことを経験を交えて綴っていこうと思う。


まず大前提として、命を奪う権利は誰にもないこと、命がお金持ちや誰かの手によって左右されてはならないことを述べておく。よく「そんなに大事なら自分がお金払って助ければいいのではないか」といった主張をする者がいるが、人の好き好みで命の選択がされるグロテスクさは、多くの歴史や作品がすでに表しているのではないだろうか。結局のところ、権力者にとって都合のいい人間が選ばれ、そうでない人間は最終的に排除されていく。
面白そうだな、救いたいな、と思った人間だけを誰かの気まぐれで救うということは、「救われない人間を選別する」行為と同じことだということを理解しなければならない。だからこそ国の制度という形で基準を定め、法律に則って生活保護費が支給されなければならない。
個人が「救う人間を選別する」ことは「救わない人間を選別する」ことと表裏一体であることを強く主張しておく。

 

今回の騒動で、無視してはならないと思う点が1つある。
それは、なぜこのような思想に至るのか、ということだ。
このような思想に至る必然性を理解しなければ、本当の意味でこの思想から抜け出すことはできないと私は考える。
というのは、実際この私自身が「役に立たない・努力しない人間などいないほうがいい」と考えていたからだ。


以前の記事でも書いたことだが、中学生のとき、部活と塾によって多忙な日々を送り、自分の主張は認められずに抑うつ状態に陥っていたことがある。
定期テストで学年1位を取り続ける私への周囲からの言動は冷たく、そんなに冷たくするなら私より勉強すればいいじゃないかと伝えれば、「頑張っても勉強が理解できない」「教科書を見ると頭が痛くなる」「本を読むのが苦手」と返される。
どれだけ私が勉強に時間を割いても、「天才だもんね」という言葉に塗りつぶされ、自分の頑張りを認めてもらえない中で、溜まったどす黒い気持ちは「努力をしない周囲の人間」への怒りという形で現れた。
実際、私ほど勉強している人間は周囲にいないと思っていたし、無配慮な言葉を投げかけられるたびに「自分が努力しないのが悪いのではないか」と憤っていた。そう言ってくる人間ほど誰かの恋愛話で盛り上がり、他愛のない話題で深夜までメールをしていたりした。
そんなどうしようもない人間の一人である同級生が部活の部長に選ばれたとき、多くの人間は馬鹿な選択をするのだと呆れたのを覚えている。
自分が選ばれるとは微塵も思っていなかったが、人当たりがよいだけで練習はちゃんとしない、裏で先輩の悪口ばかり言っている人間が部長になった事実は、私が同級生の部員を見下すに十分な動機だった。
案の定、4年連続で優勝していた郡市大会で私の中学校は優勝を逃した。当たり前の結果だったが、なんと同級生は泣いていた。
指示された練習メニューもろくにやろうとしなかったのに、優勝できなかったことを悲しんでいたのだ。

このような出来事の中で、私はどんどん次のようなことを思うようになっていった。
「努力をしない、当たり前の未来を予測できないこんなやつらと一緒にされたくない。」
そう思えば思うほど周囲の人間へのあたりは強くなり、私はどんどん孤立を深めていった。
努力すれば努力するほど、ちゃんと努力をしているはずの自分が孤独になっていった。

 

中学の経験で学び後からわかったことだが、多くの人間は指示されたことや自分の未来の利益のために必要なことができない。
将来のためにどのような行動が必要が考え、日常の中で十分に実践することができるのはマイノリティである。
名の知られた4年制の大学に出てそこそこ大きな会社に就職するとなかなか見ないが、地元に戻ると早くに子供を産んで、お金がないのだと困窮している人間はたくさんいる。
日本の賃金が相対的に下がっている事実は一旦置いておいて、地元の人間からするとこれはありふれたことなのである。


高校に入学すると、周囲の環境はガラリと変わり、尊敬できる友人が多くできた。
友人の多くは運動はできなかったが何かの趣味に秀でており、物知りな人間が多かった。
私は高校で大きな挫折をする。
どれだけ頑張っても数学が理解できない。赤点を免れたのは1年生の1学期のみ。どれだけ頑張っても40点を越えることができない。元々苦手意識はあったが、それでも偏差値は60あった。それが高校に上がった瞬間全く理解できなくなり、定期テストの順位も下から数えたほうが早い順位をとっていた。
また、姉が大学に入学して家を出たことで家庭のバランスが崩れた。私がどれだけ頑張って間を取り持っても家族の関係は悪化し続けた。
そして憧れて入った軽音楽部でギターを弾くことになったが、誰も教えてくれる人がおらず、教本を読んでも全くイメージがつかずにまともな弾き方を知ることもできなかった。今ならYoutubeで検索して、どのように弾けばいいか真似をすればいいことがわかるが、当時はそれすらもわからなかった。

 

初めて自分の努力だけではどうしようもない現実にぶちあたった。
そもそもどうすればできるようになるのか、努力の仕方がわからない。助けを求める先もわからない。
助けを求めたとして、助言を実行できるだけの理解力と気力がもう自分には残されていない。
ただTwitterの画面を眺め、まとまらない気持ちを文字にすることしかできない。
無力感に襲われ、自傷行為を繰り返した。好きだった読書ができなくなり、学力も低下した。
「頑張っても勉強ができない」「教科書を見ると頭が痛くなる」「本が読めない」事実が自分にのしかかった。
Twitterで吐き出すことは日々の愚痴と、好きな作品やアーティストへの愛。ニコニコ動画のおすすめ動画のURL。
今のこの自分自身と、自分が馬鹿にしていた人間とどこに違いがあろうか。
つまずいたタイミングが自分より早かっただけではないか。相談できるだけの言葉と友人があるだけ私よりもよほど健全ではないか。

 


羨ましい。ここまで悩む必要がなく、ヘラヘラと自分の好きなことをしている人間たちが心底憎くて羨ましい。
私が苦しんでいる間、他愛のないことで笑い合っているのだ。笑えているのだ。
そのほうが確実に幸せではないか。

 


しかし、これを認めることは、自分が必死に我慢して周囲を見下しながら努力してきたことが無駄だったと認めることと同じなのである。
こんなやつらと一緒にされたくないという気持ちは一種のモチベーションにもなっていた。

 

「自分が頑張ってきたことは無駄でした。あなたたちと同じように何も考えず、私も幸せになりたいです。」

 

こんなことを簡単に認められるはずがない。


『あいつらのほうがよほど幸せそうだが、自分を苦しめてきたあいつらとやっぱり一緒にはなりたくない。
じゃああいつらより幸せになってやろう、どうすれば幸せになれるだろうか。
人のことは信じられないし、とりあえずお金があればいろんなものが得られるはずだ。あいつらが欲しい欲しいと言っていたものが簡単に得られるはずだ。
お金というのは普遍的な価値だ。持っているか持っていないか、それだけで優劣がつけられる。
金を持っていないやつからは金を取れない、金を持っている奴らを集めよう、それ以外の人間はどうでもいい』


こう思ったとしても仕方のないことではないのだろうか。
ここでお金を稼ぐ才能があってしまったのが、DaiGoという人間かもしれない。
稼げてしまった。それ以上の挫折をしなかった。人を頼り、人と歩むことを必要としなかった。


私はそうはならなかった。
それは私の家が裕福であり、「お金持ち」と言われて学校でのけものにされていた過去があったからだ。
お金だけあっても幸せになれないことを知っていた。
そして、大学に入っても挫折を繰り返し、自分の努力だけではどうにもならないことがあることを悟っていたからだ。

 

 

ギターで壁にぶち当たったが、紆余曲折あり大学でも軽音サークルに入ることにした。(この詳細な経緯は今後書く予定)
極力ボーカルに専念したかったが、楽器はできるにこしたことはないこと、挑戦する姿勢を見せたほうが印象が良いことを考えてギターは手放さなかった。しかしもうその頃には苦手意識が染み付いてしまっており、ギターを練習し始めると喉のつっかえと手の震えが生じて、まともに練習することすら難しい状態になっていた。サークルというギターの弾き方を学べる環境を得、先輩の演奏を間近で見て正しい奏法を理解しても、どうしてもギターが思うように弾けなかった。
また、サークルで音響の仕事をすることがあったが、私は同期の中でダントツで音響の調節が下手くそだった。克服しようと月に4回ライブハウスに通っても、どうしても感覚がつかめなかった。

つのらせた無力感はどんどん自分を責める方向に働き、自分のことを「役に立たない人間」だと思うようになった。
その頃にはボーカルとして所属していたバンドは先輩の引退で解散していたし、自分の好きなアーティストを共有できる人間が同期以下の学年にはもう存在していなかった。
必要としてくれる人間がいなくなったと思い込んだ。

 


能力主義、という言葉がある。
言葉の通り、出自や学歴ではなく本人の能力に応じて評価を行う主義のことだ。
一見公平に見える考え方だが、実際は必ずしもそうではないと多くの学者が指摘している。
マイケル・サンデル教授の「実力も運のうち 能力主義は正義か? 」の本が有名かと思う。(まだすべて読めていないのだが)
個人の能力は、生まれた家や文化的資本、環境による要因が大きく、結局のところ質の高い教育をうけられる裕福な家庭の人間が上位を占めてしまう。
「いや、貧しいところから這い上がってきた人間もいる。やればできるはずだ、努力が足りないのだ!」と叫ぶ人間はいるが、そういった人間が極まれであることが問題なのである。皆等しく努力すれば成功できるのであれば、裕福な家庭出身の人間が上位を占めることに説明がつかない。
「自分で努力すれば何でもできる」というのは幻想で、実際は、自分の力だけではなく家庭や環境によって支えられて初めて努力が報われているのである。

 

もし両親の頭がもっと良ければ、数学ができていたかもしれない。
もし私の周囲にギターの知識がある人間が入れば、私はギターを苦手になることがなく、上手に弾けるようになっていたかもしれない。
それでも、やはり自分の家庭環境はどうにもならなかったと思うし、音響がうまくできる未来は想像がつかない。


中学の頃の同級生も同じようなことがあったのではないだろうか。
勉強の仕方がわからず躓いてしまい、苦手意識を持ってしまった。周囲から「馬鹿」だと言われた。馬鹿だから仕方ないのだと。
もしくは自分で馬鹿だと思い込んでしまった。そうして勉強ができなくなった。何をやっても無駄だと言われた。
きっかけは様々あると思う。


私は努力でなんでもできるようになるとは思わない。
「精一杯努力してから物を言え」と主張していた時期もあったが、そもそも努力の仕方がわからない、あったかもしれない好奇心がつぶされてしまっている、もしくは先天的に能力が弱い、などといったことは現実にありふれているのだ。


だから、「努力をしない人間はいても意味がない」なんてことは言えない。
自分自身でどうすることもできない事情を指摘して社会から排除しようとすることは、明確な差別だと思っている。
そして最初の言葉にも戻るが、大前提として、命を奪う権利は誰にもないのだ。

自分が努力した結果成功したのは、自分の努力によるものだけではないことを忘れてはならない。
努力できるだけの才能があり、努力した上で、運良く周囲の環境や人間に恵まれ、運良く才能を持っていた、ということである。

 


努力できる、できないの問題は「ケーキの切れない非行少年たち」の著者である宮口幸治先生の「どうしても頑張れない人たち」を読めば少しはイメージがつくかもしれない。
価格も安く、非常に読みやすい本なのでおすすめである。

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以下は余談である。

中学時代に印象に残ったことがある。
1つ目は、自分が自転車で事故を起こしたとき。車道を走っていたところ前から車が来たため一時的に自転車を歩道に乗り上げようとした際、
ハンドルが狂って歩道の柵に太ももを強打してしまい、倒れたまま動けなくなってしまった。(逆行していた私が完全に悪い)
幸い通学路だったため、約15分後に別の部員が通りかかった。私の大嫌いな部長である。
その部長はちゃんと私を助け、家まで送り届けてくれた。

2つ目は、体育のダンスの授業で、その部長は積極的にダンスの振り付けと指導を行っていた。これがうまいのである。
残念ながら、私は絶望的にダンスのセンスがなかった。球技や陸上競技はそつなくこなせたが、体で何かを表現するという行為が
絶望的にできなかった。私のグループは誰もダンス経験者がいなかったので空中分解したが、その子のグループはかなり様になっていた。
彼女にも得意なものはあったようだ。


ちなみに、その部長が成人式のときのパーティの幹事をしていたそうなのだが、私は呼ばれていない。
送り届けてもらったことがあるので家は知られているはずだが、一体全体どういうことだか招待状は届かなかった。
まあ、そういうこともある。
今でも私はそいつのことが大嫌いである。
知らないところで幸せになっていてほしいです。

音楽と転機

音楽について書こうと思っていたらまとまらず、更新に時間がかかってしまった。

とりあえず今後の方針をまとめることはできたので、目次として書いておくこととする。





自分の人生を振り返るとき、音楽という存在が私の人格形成に大きく影響していることを無視することはできない。今後数回に渡り、自分と音楽との関わりや転機について書いていこうと思う。

以下時系列順の目次である。


嵐というアイドルとの出会い

ニコニコ動画と作曲者との出会い

Lyu:Lyuとの出会い

サークルでの音楽活動



できるだけ時系列順で書いていこうと思うが、まとまらずにバラバラになるかもしれない。頑張ってまとめるぞー。