心と性別、患い

今年の4月、卵巣嚢腫の精密検査のため、初めてMRIに入った。


10年以上に渡って、激しい月経痛と付き合ってきた。元々は吐き気を伴う腹痛があったのが、20歳を越えてからは1週間の生理のうち1日鎮痛剤を飲むだけでなんとか過ごせるくらいには症状が落ち着いていた。

そして2年前、営業中に突然お尻が爆発するのではないかという激痛に襲われ、初めてレディースクリニックを受診した。診断は卵巣嚢腫。女性の10人に1人は抱えている、良性の腫瘍らしい。その時点では5センチほどの大きさだった。良性の腫瘍ではあるが、6センチを越えると卵巣がねじれるリスクが高く、最悪死ぬこともあるため手術をしたほうがよいらしい。そのときはまだ微妙な大きさだということで、とりあえず経過観察ということになった。


それからさらに2年が経過し、その間月経痛に変化は無かったが、整骨院に治療に通っても全く治らない腰痛が腫瘍のせいなのではないかと思い始めた。母に相談し、自分が生まれた病院の婦人科に受診した。

そこで精密検査を受けたほうがいいと言われ、MRIの予約をとった。


結果、5センチ程度だと思っていた腫瘍は6センチあり、アーモンドほどの大きさのはずの卵巣は鶏の卵くらいに腫れ、直腸を圧迫していた。そりゃ痛い。逆に、ここまで大きくなって、症状が慢性腰痛と排便痛しかないことに驚きである。


まずはホルモン治療(低用量ピルの連続服用)で様子見、3ヶ月後に大きさが変わらなければ手術という結論になった。




話は変わるが、私は大学時代、心身相関についてのゼミに所属していた。ゼミの先生はヨガの先生でもあり、体を動かすことによって心を治療する方法やメカニズムについて研究していた。

その先生に教わったことの中で、自分が抱えているメンタルの問題によって体の一部を病んでしまう話が強く印象に残っている。

たとえば、家庭の父親の不在に悩み、足の親指(親指は父親を表す)が変色してしまった事例や、ずっと我慢を続けた人がALSになってしまい、心だけでなく体も動かなくなってしまった事例などがある。

もちろんそんなのは偶然だと言ってしまえるような話だ。因果関係があると認識するかしないかの問題である。

しかしこのことを学んでいた私は、卵巣を病んだという事実について大きな納得感を持っていた。

長らく自分自身の女性という特性について強いコンプレックスを抱いていた自分にとって、性別の象徴である生殖器を病むということは全く驚くようなことではなかったのだった。


今でこそ普通にスカートを履いたり化粧をしたりすることに抵抗はないが、4年前ほど前までは、自分の性別に対して強い恨みを感じていた。自分の性別に違和感がある、というよりかは、強い「恨み」である。なぜ女性であらねばならないのか、なぜ女性性というものを抱えなければならないのか。なぜ女性と男性に分けられたとき、女性というグループに押し込められなければならないのか。

現在は女性の辛さについての議論が特に盛んである。社会が女性に強いている不平等さについて説くものが多いが、私の恨みはこういったものとは少し違う。一時期は同一視していたこともあるが、私が抱える問題の本質は、自分の過去の嫌な経験だった。



小学校低学年のとき、私はドッジボールが好きでずっと男子と遊んでいた。小学校3年生になると男女の体格差が出てきて、男子の力についていけなくなってしまった。

朧げに、「男子だったら良かったのに」と思っていたとき、同級生の女子に

「〇〇ちゃんって男好きなの?」

と言われたのだ。

一瞬何を言われたかがわからず、固まってしまった。私は決して男子の輪の中にいたかったからドッジボールをしていたわけではない。私はただ楽しくドッジボールをしたかっただけで、結果的に男子の輪の中にいることになったというだけなのだ。

なぜそんなことを言われなければならないのか。性別に対する壁を感じたのはそれが初めてだった。そして、男子だから、女子だからと言ってくるのは決まって女子だった。


林間学校や修学旅行の際、女子部屋では決まって布団に潜りながら、好きな人は誰かのカミングアウト会が始まる。

拒否権はほぼ無く、好きな人などいないと話そうが、秘密だと口をつぐもうが、拒否すれば仲間外れが始まるのだ。幸いにも陰湿なイジメは無かったが、「あの子は絶対〇〇君のことが好きなんだよ」なんて根も歯もない噂を勝手に流されたりする。

もちろんこの「好きな人カミングアウトしなきゃ仲間外れな」の話については、男子でも同じようなことがあると思う。しかし、私にとってはそれを「同性の女子」にされたという事実が傷になっていた。



あげればキリがないが、幼い頃私に嫌なことをしてきたのはいつも決まって女性だったのである。いつのまにか、女性という存在自体が苦手になってしまった。


そのような人間と自分が同じ性別であるということに耐えられなかったのだと思う。男性になりたいというよりは、女性という性別から逃げたかった。

しかしおそらくは、自分が女性であったからこそ女性と接することが多く、その分悪い面が見えたというだけなのだと思う。自分が男性であったならば、同じように男性嫌いになっていた可能性もある。人間を男女の2つに分ける必要はなく、「そういうこと言うお前なんて嫌いじゃボケ」と言えれば問題はなかったわけである。


ありがたいことに高校・大学では良い縁に恵まれ、両性ともに良き友人に恵まれた。友人と接していく中で、自分が持っていた女性のイメージは払拭され、逆に男性の悪い部分も感じることができた。コンプレックスの正体に気づき、自分の性別を受け入れることができたのは、間違いなく大学の学部の友人やサークルの方々のおかげである。

恨むべきは女性という性別ではなく、嫌な気持ちにさせてきた人々自身だったのだと今では理解している。



(世間一般的な男女の差異、男女間差別について思うところはあるが、ここでは個人的な問題のみを語ることにする。自分の女性嫌いについて、本質的な問題では無かったとはいえ世間的なジェンダー問題が全く関係がなかったわけでは無い。書くことがあるかもしれないが、ジェンダーについて学問的に学んだわけではないため、あくまで個人的な感想になるだろう。それを表に出すかどうかはちょっとまだわからない。)



自分の性別について心の整理が終わった今、卵巣を治すタイミングが来たことに強い納得感がある。自分の中のイニシエーションというか、もう1段階ふっきるきっかけになるだろうと思っている。友人も母親になったことだしね。でも手術はお金かかるから嫌だなあ




最後に、そもそも性別ってなんだっけと混乱する大好きな漫画を置いておく。登場人物の性別が変化しすぎて意味がわからなくなるラブコメです。


https://magazine.jp.square-enix.com/gangan/introduction/majono/



「しまなみたそがれ」や「青のフラッグ」もすごい名作で読むと心が抉られて放心してしまうのだが、軽く読めるという意味では「魔女の下僕と魔王のツノ」(通称魔女ツノ)をおすすめする。とにかくキャラが全員可愛い。魔女ツノを読んでから性別がどうでもよくなってきて、最近ソフトなBLを読めるようになりました。幸せならOK