コミュニケーションのハードル

社会人になって、他の人が当たり前にできることが自分にはできない、ということは色んな人に起きていることかもしれない。
お金という責任が発生することによって、目をそらしていたり直らないと諦めていたりすることを克服しなければならないときが来てしまう。
私はコミュニケーション全般において、それを余儀なくされた。

仕事においてわからないことが見つかると、先輩に相談し、少しわかることであれば認識があっているかの確認をするというのが一般的なフローかと思う。
私はこの「誰かに相談する」「確認する」という行為が非常に苦手だった。
相談することが苦手、というよりかは、自分から人に話しかけに行くことに大きなハードルを感じていた。
特に、相手が忙しいことをわかっていながら自分のために時間を使わせるということに大きな罪悪感があり、遠慮を繰り返しては他の同期に先を越され、気がつくと夜の21時を回っていた、なんてことを繰り返すことになった。
私がそんなことをしているうちに同期はどんどん知識を吸収し、活躍し始めたのである。

 

社会人になってこのことに大きく躓いた。
そのような状況で私が思っていたことは、「なぜ同期は先輩の仕事をする時間を奪う自分のことを邪魔だと思わないのだろう」ということだった。
私は相談・確認という行為に限らず、どのような会話であっても、「相手の時間を奪うこと」だとどうしても思ってしまうのだ。


自分がそう思ってしまう原因について、今では心当たりがある。

昔から、私は自分の都合で誰かを動かすということが苦手だった。
赤ん坊のころから、母親が忙しいときは泣かず、手を止めてから軽く声をあげるような子供だったと母から聞いている。
あまりにも泣かないため、飲むミルクの量が少なくお医者さんに指摘されたとのことだから、人に遠慮をする性質というのは生まれ持ったものなのだろうと思う。
しかし、その傾向を強化させたのは間違いなく家族の習慣だ。


大きな原因は2つある。
1つ目は、私が自分の意志を相手に受け入れてもらえるイメージを持てないことだ。
小学生のとき、週に4日の習い事をさせられていた。どれも自分がしたい、好きだと思えるものではなかった。
特に水泳については、何度も行きたくないと母に訴えた。泳いでいるうちに、どうしてこんなしんどいことをしなければならないのかと涙が出てくるくらいには嫌いだった、
最初のうち母は、「バタフライまで泳げるようになったらいいよ」と言っていた。その言葉を信じ、なんとかバタフライを習得し、証の7級のバッジを持ち帰ったとき、母は笑いながら言ったのだ。「1級まであと6つだから頑張って。」
絶望に突き落とされた気分だったが、なんとか100メートルの個人メドレーを泳ぎきり、1級のバッジを持って帰った。
ただ、私が1級を取る直前、1級の上に新しく初段〜五段の階級ができたのだ。嫌な予感がした。
予想通り、母は「あと5つだから、頑張って」と言ったのだった。
その後、何かの理由で水泳をやめることになった。理由は覚えていないが、私がやめたがっていたからという理由ではないことは覚えている。

同じようなことだが、中学の時にとある大手の塾に通わされていた。
勉強自体は嫌いではなかったが、そこの英語講師が嫌いで、毎回行きたくないと訴えていた。
実際に塾の時間になるとお腹が痛くなり、そこで塾に休むことを伝える電話をすると途端に腹痛が収まるのである。
そんな私の様子を見て。母は「本当に演技がうまいなあ」と言うことを繰り返していた。
(ちなみにこの講師は不機嫌であることを隠さず、突然怒鳴りだしたり、他の教科の勉強ができないくらいの課題の量を出したり、カリキュラムにない補習を別の曜日に行い来なければ怒鳴る、理不尽なことばかり要求するような講師だった。実際この講師のせいで、知っている限り生徒の5人以上が隣の塾に移っている。母もそのことは知っていた。)

同級生に愚痴をこぼせば、「お金持ちだから塾に通えていいよね」「賢いんだからいいじゃん」と妬まれ、先生に相談すれば「なんとかなるよ」としか言ってもらえなかった。問題行動もなく、成績優秀だった私は周囲の人間からすると心配するに値しない人間だったようである。

次第に不眠症希死念慮が強くなり、人と話すことが億劫になっていった。
中学2年のときだったと思う。
自分の誕生日、何がほしいと母が聞くので、「何もいらないから学校と塾を休ませてほしい」と伝えた。
そのときの言葉を今でもよく覚えている。
母は笑いながら、「それはあかんわ」と言ったのだった。

そのときに自分の心が完全に折れてしまった。
それ以来、誰かに自分の気持ちを伝えようとすると喉がつっかえて声がでなくなってしまった。
誕生日にすら自分の気持ちは届かなかったという事実は、自分を絶望させるには十分だった。

相談ができない原因の1つは、本当に大切な自分の気持ちを否定されたことで自分の気持ちを伝えることができなくなり、自分の言葉で相手を動かせるというイメージが完全に壊されてしまったからである。

 

1つ目は重たい理由だが、2つ目は習慣の話である。
これは社会人になってから気づいたことだが、私の家庭にはそもそも相談・確認という文化がなかった。
そのため相談の方法を知らない。どういうときにどのように相談すればいいのかわからないのだ。

たとえば、我が家ではいつも突然に買い物や旅行に駆り出される。
旅行の前日になって初めて伝えられたり、どこに何の目的があって行くのかを知らされずに突然買い物に行くよと家を連れ出されたりと、何かと情報の共有が欠けているのである。
最初の方は場所や時間を確認していたのかもしれないが、毎回のことなので気にしなくなってしまった。

また、母はいつもひとつ先のことをする癖がある。
たとえば、「暑い」と誰かが言えば、何も言わずにクーラーをつける。誰もつけてほしいと頼んでいないのにもかかわらずである。
食事が終わり、片付けが始まると、最後に食べようと残しておいたおかずが乗ったお皿を何も言わずに洗いに行こうとする。父はよくそんな母の行動に怒っていた。

父はというと、気に入らないことがあるとすぐに「気分が悪い」と言って怒り出す。どこが地雷かわからないため、父と話すときは私はいつも頭の中で何度も言うことを推敲して話すようにしていた。
父が今どんな気持ちなのか、機嫌は悪くないか、この話題は出してもいいものか、父の前ではずっと考え続けていた。
機嫌を損ねた瞬間アウトなので失敗ができない。怒り始めたら自分が絶対的に正しいと主張されてしまう。

我が家には圧倒的にコミュニケーションが欠けていた。言葉を交わしながら気持ちを伝えていく、という文化がそもそもない。
自分がしたいことに相手を無理やり合わせる。合わせるしかない方向に持っていくことが我が家の文化だったように思う。
仕事の中で人を動かすためには、認識合わせを行い、合意をとることが必要だ。
認識もあっていない、合意もとりようがない環境でいるのが普通だった私は、「確認をとる」という難易度の高くない問題に大きくつまづくことになったわけである。

 

 


ここまで語ってきたが、社会人となって4年目、この問題はほとんど改善された。
もうかなり長く書いてきたので、改善方法や続きについては別のブログで書こうと思う。


家族というのは子供の成長に大きな影響を及ぼす。どれだけ嫌であってもだ。
なかなか逃れられるものではないし、語るのも辛い。
自分がこうなったのは親のせいだ!と断言することは、良い子として生きてきた人間には結構難しい。
一応書いておくがこのブログを見ると、なんてひどい親だと思うかもしれないが、今の関係性は良好である。当時はいろんなタイミングが重なり、皆自分のことだけで精一杯だった。
遠慮がちな私は面とむかって反抗することができなかったので、この文章を書くことは親に対しての少しの反抗だと思ってほしい。
親を恨むのは悪いことではないし、一度通ってもいい道だと思う。
このブログでは、自分語りを行うことで、自分自身と向き合うこと、自分自身の振り返りを目的としている。
最後に書くのもなんだが、もし気分が悪くなったら途中で読むのをやめてほしい。
苦しみに浸りたい、そんなときがあれば読んでもいいかもしれない。